「明治百年」に見る歴史意識 : 桑原武夫と竹内好を題材に

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タイトル別名
  • Historical Consciousness on a Centenary Anniversary of Meiji Restoration : a Case of Takeo Kuwabara and Yoshimi Takeuchi
  • 「 メイジ ヒャクネン 」 ニ ミル レキシ イシキ : クワバラ ブフ ト タケウチ コウ オ ダイザイ ニ

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抄録

本論文は、「戦後」において「明治」を見直す動きを、桑原武夫と竹内好の言説を対象に議論している。桑原と竹内が、「もはや戦後ではない」昭和31年 = 1956年を境に行われた「明治の再評価」をめぐる議論の意味を指摘する。「明治の再評価」を最初に唱えた一人・桑原にとっての「元号」は、西暦とは異なる、日本固有の時間の積み重ねだった。それは同時に、昭和20年 = 1945年に始まる「戦後」という時間軸よりも、「昭和」や「明治」という時間の蓄積に親しみを抱く世間の空気でもあった。そして、桑原もまた、「元号」と同様に、世の中の雰囲気を鋭敏に察知するアイコンでもあった。対する竹内は、「昭和」という「元号」を称揚する復古的な動きに嫌悪感をあらわにし、「明治」を否定的に回顧しようとしつつも苦悩する。「明治維新百年祭」を提唱した理由は、その百年の歴史が、自分たちが生きる今の基盤になっていると考えたからこそ、苦悩し、ジャーナリズムでさかんに発言する。このように本研究では、「明治百年」についての複数の言説の中で、日本近代に対峙した代表的な2人の論客が「元号」に依拠して明らかにした歴史意識を対象として、当時の知識人と社会、学問とジャーナリズムの関係性もまた見通している。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 105 117-139, 2014-06-30

    京都大學人文科學研究所

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