「朝鮮寺」から「在日コリアン寺院」へ --コロニアル/ポストコロニアル状況における在日コリアンの宗教的実践--

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タイトル別名
  • From "Korean Temples" to "Temples for Koreans Living in Japan": Religious Practices of Koreans Living in Japan in Colonial and Postcolonial Times
  • 「 チョウセンジ 」 カラ 「 ザイニチ コリアン ジイン 」 エ : コロニアル/ポストコロニアル ジョウキョウ ニ オケル ザイニチ コリアン ノ シュウキョウテキ ジッセン

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抄録

日本においては戦前から, 古代朝鮮シャーマニズと仏教が習合した特異な宗教的観念・儀礼が展開されるようになっており, その独自な実践の場を指示する呼称として「朝鮮寺」が用いられてきた。これらの「朝鮮寺」は, スニム(僧侶) やポサル(菩薩=女性のシャーマン), そして, それを支えた在日一世の女性信者たちによって形成されてきた。しかし, 筆者は, 近年における関西の大都市圏近郊の生駒山地の「山の寺」と大阪市内の「街の寺」の間に見られるネットワーク化について指摘し, 「朝鮮寺」を「在日コリアン寺院」と改称した[宮下2012a]。上記の「山の寺」とは, 生駒山地の西側の山頂へとつながる谷筋に位置する辻子谷, 額田谷, 鳴川谷, 服部川地区, 高安山直下の黒谷と, 東側の奈良の宝山寺周辺の寺を指し, 「街の寺」とは主に生野区を中心とする大阪市内に展開されている寺を指す。この「在日コリアン寺院」の宗教者たちの多くは世代交代をし, ほとんどがニューカマーであり, かつての「朝鮮寺」とは異なる新たな宗教活動をも展開している。また, 日韓を往復するライフスタイルを体現していることから, 彼らを取り巻く状況はトランスナショナルな動向の中にあるといえる。本稿では, 戦前の在日コリアン一世によって形成されてきた「朝鮮寺」から, 現在の「在日コリアン寺院」への移行過程で, つまり, コロニアル/ポストコロニアル状況において, 在日コリアンとその周辺ではどのような宗教的実践が展開されてきたのか, あるいは展開されているのか, ということを明らかにする。それにより, 「帝国」の影響を指摘することができるのかどうかも検討する。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 108 49-63, 2015-12-30

    京都大學人文科學研究所

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