<論説>古代港津の歴史地理学的考察 : 瀬戸内における港津址比定を中心として

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タイトル別名
  • <Articles>A Historico-Geographical Approach of Ports in the Setouchi 瀬戸内 in Ancient Japan
  • 古代港津の歴史地理学的考察--瀬戸内における港津址比定を中心として
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抄録

小稿では主として古代、律令期の瀬戸内北岸東半部の港津址を比定することを目的とする。難波津あるいは難波御津は、遺称地名および地形発達史的な考察から大阪市南区三津寺町付近に求めるのが妥当と考える。それに関連して安曇江を北区野崎町付近に字名から考定し、その西に新羅江庄を比定すれば堀江は通説に従って天満川に求めうる。また難波江には堂島川玉江橋北に求めたい。住吉三津、敷津、榎津も住吉神社周辺に地名、地形的考察から比定できる。五泊の位置については河尻泊は尼崎市今福、大輪田泊は旧湊川河口部、魚住泊は明石市江井ケ島、韓泊は姫路市的形に求め得、檉生泊は現在の室津港そのものと考えてよい。古代における港は駅、郡家、国府と近接し結節機能の一端を担っていたと想定される事例をあげることができる。例えば賀古駅と水児船瀬や住吉郡家、児島郡家あるいは国府の外港つまり国津についての場合である。もとより難波津は国家的レベルの要津としての位置を占め畿内の陸路・水路は難波と結びついていた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 53 (1), 55-109, 1970-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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