<論説>細川・三好体制研究序説 : 室町幕府の解体過程

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書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>A Preparatory Study of the Regime of the Hosokawas 細川 and the Miyoshis 三好 : the Dissolution of Muromachi Bakufu 室町幕府
  • 細川・三好体制研究序説--室町幕府の解体過程
  • ホソカワ ミヨシ タイセイ ケンキュウ ジョセツ ムロマチ バクフ ノ カイタイ カテイ

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抄録

本稿は、戦国期に於る畿内の政治史研究のための基礎作業を上部構造に限定して試みたものである。まず戦後の通説に於て殆ど崩壊し去ったと見做されてきた応仁乱後の室町幕府が、守護統制は喪失したものの、幕府の権門統制は極地化しながら依然存続していることを強調した。次に大永末~天文の細川晴元政権時代を、古文書学的方法に依りつつ支配構造を究明し、その京都支配は管領代-山城郡代という体制であり、その中核は摂津国衆の軍事力であることを検証した。また晴元被官奉書の分析の結果、幕府奉行人奉書に追随して「管領代添状」が発給されている事実を明かにし、この添状は主として在京権門=荘園領主により正当化されていることを論証した。従来政所寄人と見做されていた応仁以降の奉行人の中には、管領奉行人が多数存在していた。次で管領代添状の発生過程及びその意義につき考察した。最後に大永天文期の政治過程を総括し、大永末享禄期に堺に室町慕府に代る別系統の幕府が存在していたことを確認し、「堺幕府成立=室町幕府中絶」説を提唱した。次で三好元長敗死・山科本願寺焼打・天文法華乱を摂津国衆と在京権門による奪権闘争として位置付け、これらの戦乱で晴元被官=摂津国衆の利害が貫徹した結果、天文五年以降在京権門と摂津国衆の連合政権が成立したと結論し、その崩壊=三好長慶抬頭の事情も併せて考察した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 56 (5), 623-695, 1973-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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