<論説>東方会の成立

DOI HANDLE Web Site オープンアクセス

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>Founding of the Toho-Kai 東方会
  • 東方会の成立
  • トウホウカイ ノ セイリツ

この論文をさがす

抄録

東方会は三〇年代に簇生した群小国家主義政党のひとつである。同党の特微は、その編成時における指導的メンバーの大多数が二〇年代には憲政会=民政党に属し、政治思想的には民本主義の立場に立っていた点に求められる。中野正剛を代表格とする同党の指導メンバーは民政党時代には比較的自由主義的なグループに属していたのだが、大恐慌と「満州事変」を経る過程で、その民本主義的立会を放棄し、それに代えて「アジア・ブロック」「統制経済」「強力政治」を三本の柱とするファッショ的な政治理念をうちだした。協力内閣運動に失敗して民政党を離れた彼等は、その後ドイツ・イタリアの成果に学んで、自ら大衆動員力をもつファッショ政党の組織化にのりだし、東方会を結成するにいたったのである。このような来歴をもつ東方会は、国家社会主義化した社会大衆党と並んで、社会ファシズム的色彩の最も尖鋭な団体となった。このような性格をもつ東方会のうちに、二〇年代には民本主義を支持していたブルジョワ的な政治勢力のファッショ化の過程が凝縮されているとの考えに立って、本稿では民政党脱党より東方会成立前後までの彼等の動向を明らかにすることに努めた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 61 (4), 592-627, 1978-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

キーワード

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ