<論説>ギー・ド・リュジニャンのクーデター

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タイトル別名
  • <Articles>The Coup d'etat of Guy of Lusignan
  • ギー・ド・リュジニャンのクーデター
  • ギ ド リュジニャン ノ クーデター

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抄録

十字軍研究の中で、エルサレム王国史は重要な分野をなしている。周知の如く、エルサレム王国は第一回十字軍に際して建設され、以後数次に亘って繰り返される十字軍の遠征も、多くはその救援要請に応じて召集されたものである。一二九一年のアッコン陥落まで約二〇〇年間存続したこの王国は、ハッティーンの戦いを境に二期に分けられ、屡々前期を「第一王国」、後期を「第二王国」と呼ぶ。本稿で扱うギー・ド・リュジニャンのクーデターは、第一王国末期に起こった王位を巡る紛争である。第一王国末期史を覆う党争の頂点とされるこの事件、それに続くのがハッティーンの敗戦とサラディンによる征服であり、王国の大部分は失われ、第一王国は滅亡する。本稿では、この紛争の背景やその実態等を解明して行くのが課題になる。

収録刊行物

  • 史林

    史林 61 (6), 827-858, 1978-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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