<論説>広東国民政府における政治抗争と蒋介石の抬頭

書誌事項

タイトル別名
  • <Article>Political Struggles in Guangdong National Government 広東国民政府 and the Rise of Jiang Jie-Shi 蒋介石
  • 広東国民政府における政治抗争と蒋介石の抬領
  • カントン コクミン セイフ ニ オケル セイジ コウソウ ト ショウカイセキ

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説明

一九二四年一月の第一次国共合作のあと、国民党は二五年の七月一日に広州に国民政府を樹立した。しかし二五年の三月に孫文が北京で死去していたため、指導権争いが発生する。この争いは靡仲愷の暗殺事件を機に急展開をとげ、蒋介石の率いる軍事力にもとづき胡漢民や許崇智らの対立分子の一掃が行われ、蒋介石、汪精衛、ボロディンからなる新指導部が成立した。つづいて国民政府は蒋介石を総司令として宿敵の陳炯明を打破し、広東全省を統一して体制を強化した。しかし共産党員の勢力伸長をめぐって国共の対立がたかまった結果、蒋介石は中山艦事件により共産党員をおさえこみ、親共的な汪精衛を逐いおとして独裁的権力を手中にした。そして懸案の北伐準備を開始した。親ソ勢力による中国の統一を最優先の外交政策とするソ連は、蒋介石の共産党員抑圧を黙認し、北伐の遂行を援助する。このあと国民革命の舞台は広東をはなれ、全国的規模での新展開が出現する。

収録刊行物

  • 史林

    史林 68 (6), 927-965, 1985-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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