<論説>南京政府時期の技術官僚の形成と発展 : 近代中国技術者の系譜

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タイトル別名
  • <Articles>The Formation of Technocrats in Kuomintang China
  • 南京政府時期の技術官僚の形成と発展--近代中国技術者の系譜
  • ナンキン セイフ ジキ ノ ギジュツ カンリョウ ノ ケイセイ ト ハッテン

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説明

南京政府時期に成立し、抗日戦争後まで中国の重工業建設を指導した「資源委員会」は従来、国家官僚資本の典型的機関と見なされてきた。しかし、委員会の構成員を個人レベルで子細に見るならば、そこに結集した主要委員は当時の中国における最高の水準を持つ少壮の鉱工業技術者を中心とするものであり、近代中国の技術者層形成に関する実例を示してくれる組織であった。資源委員会を構成した技術者たちの五四時期の思想、かれら高級技術者の母体となった中国工程師学会の動向、そしてかれらの抗日意識を概観すれば、近代中国の技術者の系譜が理解できるだろう。かれらは技術官僚(テクノクラート) と呼ぶにふさわしい存在であり、層として共有する歴史体験と価値観を持つ社会集団であった。国民党政権の大陸失陥の後、資源委員会構成員の一部は国民政府とともに台湾に移ったが、戦後台湾においても旧資源委員会構成員の指導する経済建設は受け継がれた。一方、資源委員会のかなりの部分が国民党を捨てて共産党政権に投じたのも、かれらの経済建設観が共産党のそれと符合する部分があったからだった。その意味でいえば、中国大陸にあっても、台湾にあっても旧資源委員会の遺産は「資本の社会化」、「放任的資本主義の否定」という形で継承されたのだった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 74 (2), 155-187, 1991-03-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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