<論説>山西洪洞県水利碑考 : 金天眷二年「都總管鎭國定兩縣水碑」の事例

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タイトル別名
  • <Articles>Research on the Stone Tablets Dealing with Water Supply in the Hongdong 洪洞 District of Shanxi 山西= : The Case of "Du zong guang zhen guo ding liang xian shui bei 都總管鎭國定兩縣水碑" from the Second Year of Tianjuan 天眷 Era of the Jin 金 Period
  • 山西洪洞県水利碑考--金天眷2年「都總管鎭國定兩縣水碑」の事例
  • サンセイ コウドウ ケン スイリヒコウ キンテンケン2ネン ト ソウ カンチンコクテイ リョウ ケンスイヒ ノ ジレイ

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抄録

灌漑事業の経緯や灌漑用水の供給をめぐる水争の顛末を記録した水利碑は、関係者を顕彰し事業を記念するという碑刻資料の持つ一般的性質に加えて、灌漑用水の利用に関する水利規定を明文化する役割を果たした。金代初期における霍水をめぐる水争の結果として立石された「都總管鎭國定兩縣水碑」は、現実に目前に存在するモノとして後世においても現実的・実用的利用に供されることとなる。明代における水争裁定時には、当該碑刻は関係者のともに依拠するデータとされ、さらに清々に水利関連規定集たる渠冊が編纂された際には、その冒頭に当該碑文が収められるとともに、碑文内には含まれない利用細則までもが金代天眷年間に定められたものとして記録される。また碑文中に見える「上畔」と呼ばれる文書は、金朝華北統治の最高機関たる元帥府の下部行政機関として設置された樞密院(行臺尚書省) より発せられる行政文書として創出された文書形式であり、これら文書移動を通して水争調停の背景にある金朝の華北統治体制が整備された文書システムを基礎とするものであったことが読み取れる。

収録刊行物

  • 史林

    史林 87 (1), 70-103, 2004-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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