<論説>大名領国成立期における中心集落の形成 : 尾張平野の事例研究による検討

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タイトル別名
  • <Articles>The Organization of the Central Place in the Forming Period of Daimyo-Ryogoku 大名領国
  • 大名領国成立期における中心集落の形成--尾張平野の事例研究による検討
  • ダイミョウ リョウゴク セイリツキ ニ オケル チュウシン シュウラク ノ ケイセイ オワリ ヘイヤ ノ ジレイ ケンキュウ ニ ヨル ケントウ

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抄録

わが国においては、一三世紀以降しだいに自生的な地方的中心集落形成への動きが顕著になり、その展開過程において経済的中心として村落市場が形成され、在地領主層の城館が政治的中心としての機能を高めていった。かくして戦国時代後期には両者の結合形態をとる中心集落が成立し、それらを結節点とする地域構造が構成されて戦国大名の領国支配を支える塾盤となっていった。このような観点から尾張平野における初期の村落市場、在地領主層の城館について検討し、戦国時代後期における中心集落網の性質と中心集落の構造を明かにするのが本稿の目的であり、文献史料の欠を補うため現地調査による小地名、地割形態、遺構などを検討した。その結果 (一) 初期の村落市場は一四世紀後半から三~五粁の距離をおいて広範に成立していったが、それらは村落一般に共通する不規則なブロック型地割を有しており、なお村落景観を特色あるものに改変するほどの影響力は持っていなかった。(二) 南北朝内乱期を通じて急速に成長していった中小封建領主層による在地支配の成立を反映して一四世紀後期以降多くの城館が出現したが、守護領国制の展開によって彼等の有力封建領主への被宮化が進み、城館が統合されて有力封建領主の城館の政治中心的機能が強化された。(三) 一五世紀後期にはこれらの城館と定期市化していった村落市場との結合がみられ、地方的な中心集落を構成していった。(四) かくして一六世紀中期にはすでに四~六粁間隔で分布する中心集落網が形成されていた。(五)この時期は市場商業から店舗商業 (町における商業) への過渡期にあたり、中心集落にも短冊型地割を特色とする町並の形成がみられるもの (苅安賀) と村落的傾向が強く市場商業を主とするもの (岩崎) とが見られたことが明らかにされた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 48 (1), 87-125, 1965-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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