<論説>東大寺領摂津国猪名庄の歴史地理

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タイトル別名
  • <Articles>Historical Geography of Ina 猪名 Manor under the Rule of the Todaiji 東大寺 Temple in the Settsu 摂津 Country
  • 東大寺領摂津国猪名庄の歴史地理
  • トウダイ ジリョウ セッツノクニ チョメイショウ ノ レキシ チリ

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抄録

東大寺領猪名庄絵図は条里坪付のあること、地名、田積、田品その他の記載のあることで摂津国河辺郡の条里復元の手掛となり、また庄園内容を知る上の震要な資料となるべきものであるにもかかわらず従来必ずしもじゅう分な利用ができなかった。その第一の原因は絵図が写本であり、誤りの多いこと、従って僑用度に問題があったことにあるが、河辺郡 (主として尼崎市域) 自体についての研究不足もなかったとはいえない。小論は、こうした問題点をいくらかでも解決する目的から (一) 摂津国河辺郡の自然環境を堀りさげて追求し、 (二) 猪名庄の立地点を歴史地理学の立場で検討し、また (三)猪名庄絵図については記載内容を逐一検討を加えて信用できる程度のものに復元した上で、 (四)ミヤケより庄園への発展過程を解釈した。 その結果、班田地の外側の海岸低湿地に、輸中型の開発を進めてきたミヤケの施入を受けた東大寺は、更にその方法を進展させるとともに提防の囲い込みによって砂州と江への進出を試みて、ついに後年の鴨社との紛争の契機を生み出すことが明らかとなった。もちろん当該絵図は中世の作であり、寺側に有利に描かれている。

収録刊行物

  • 史林

    史林 48 (5), 737-763, 1965-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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