人種, 自由, 平等, 博愛 --フランスにおける科学と政治の間での「人種」概念の来歴(1815-1840)--

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タイトル別名
  • Races. liberté, égalité et fratemité. La carrière de la notionde "race" entre science etpolitique (1815-1840)"
  • ジンシュ,ジユウ,ビョウドウ,ハクアイ フランス ニ オケル カガク ト セイジ ノ アイダ デ ノ 「 ジンシュ 」 ガイネン ノ ライレキ(1815-1840)

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説明

本稿は, 19世紀初頭のフランスの政治学に「人種の科学」が導入された状況と, この状況が人々の解放や権利の平等を促進する自由主義者, 社会主義者, サン=シモン主義者などの政治運動とどのように関連していたのかを検証する。この導入が, 王政復古中のフランスにおける自由主義の伝統の内側において---サンスール学派(Censeur : 監察官)であったシャルル・コント, シャルル・デュノワイエ, オギュスタン・ティエリに代表される---生じた変化とどのように関連していたのかを提示する。自由など人間の本質の普遍的な実現を妨げる障害を理解するために, 人種が導入された。これらの障害は, 多くの自由主義者が考えたような司法制度や政治制度の中にではなく, 社会の内側にあった。この導入によって, 彼らは人種に関する自然主義的および歴史的知識を政治学に紹介し, 人種が社会に与える影響について二重の解釈を展開するようになった。デュノワイエによって例示された最初の解釈は, 精神的および道徳的能力において人種は生来的に不平等であり, したがって文明と自由をつかみ取るのに不平等があると主張した。コントとティエリーに代表されるいま1つの解釈は, それぞれの文明において, 征服する人種と征服される人種の闘争によって世界の歴史がどのように刻まれてきたのかという主張である。この闘争が語るのは, 世界中において実現されてきた自由のさまざまな度合いである。本稿の後半部では, これらの主張が, 1830年代から1840年代にかけてパリ民族学会の初期の重要なメンバーであったギュスタヴ・デシュタルやヴィクトル・クルテなどサン=シモン主義者たちによって, どのように強化され, 変換されたのかを検証する。クルテが, 人種は生来的に不平等であるとしたデュノワイエの考えを根本的にどのように強化したのか, そしてそれが社会の歴史と運命をどのように決定したのかを提示する。さらにクルテとデュノワイエの考えが, 自由主義派とサン=シモン派の間で頻繁に確認することができる権利の平等と能力の生来的な不平等の区別とどのように関連しなければならなかったかを提示する。またデシュタルとクルテが, 人類全体の進歩のために, それぞれの性質と能力に応じた場所を持つべき人種として, どのように異なる人種を普遍的な人類の家族に位置付けるよう提案したのかを模索したい。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 114 123-157, 2019-12-25

    京都大學人文科學研究所

参考文献 (42)*注記

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