土牛考(初編)

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  • ドギュウコウ ショヘン

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抄録

中共治下の今日ではどうなってゐるのか知らぬが、少くとも歴代の王朝では中央地方の立春の行事として芒神(勾芒)或は大歳(歳星)などと共に土牛が設けられ、大河の治水の工料として土牛とか草牛とか土牛埽とかいふものが用ひられた。立春の土牛については、これまでにも民族学的立場からフレィザーの金枝篇(三)(岩波文庫、永橋卓介訳二八〇-二九一頁)に興味ある記載が見えて居り、我国でも多くの人々によって紹介されてゐるが、就中、永尾龍造氏の支那風俗志第二篇第三章には文献と実際の調査に基づく豊富な事例が羅列してある。また石田英一郎氏の河童駒引考第二章には、文化人類学的立場から古今東西に亘る広般な比較研究によってその意味が解釈されて居り、更らに山田勝美氏の土牛考(甲骨学八号)には甲骨学の立場から土牛の前身について新しい見解が述べられてゐる。この小論は、専ら文献によって歴史学の立場から、事実と解釈の両面を併せ考へることによって、前人の研究の驥尾に付さうとするものである。……

収録刊行物

  • 人文研究

    人文研究 15 (5), 494-517, 1964

    大阪市立大学文学会

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