<論文>映画『祇園祭』を伊藤大輔の作家性から再考する -- 「傾向映画」との接続と非接続

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タイトル別名
  • <Articles>Reconsideration of Gion Matsuri from the Perspective of Daisuke Ito's Authorship : Connections and Disconnections with 'Keiko-eiga' (tendency films)
  • 映画『祇園祭』を伊藤大輔の作家性から再考する : 「傾向映画」との接続と非接続
  • エイガ 『 ギオンマツリ 』 オ イトウ ダイスケ ノ サッカセイ カラ サイコウ スル : 「 ケイコウ エイガ 」 ト ノ セツゾク ト ヒセツゾク

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抄録

本稿は, 京都府政百年記念映画『祇園祭』(日本映画復興協会製作, 1968年11月23日公開, 山内鉄也監督)について, 同作の映画化構想を十年以上温め続けたにも拘わらず, 撮影開始後に監督を降板することになってしまった伊藤大輔の作家性という観点から問い直すことを目的とする。『祇園祭』は端的に, 大手映画会社「五社」の枠外で製作された映画であるという点において画期的であったと同時に, そのことによって, 複数の組織からの利害や政治的思惑が交錯してしまった作品である。無声期からのベテランであり, 映画界斜陽化のなかでカリスマ性を保持する希有な映画人であった伊藤大輔でさえも, 製作が具体化していくなかで, 様々な方面からの政治的圧力から逃れることができず, 人間関係を著しく悪化させ, 降板に至るまでの経緯は, 伊藤自身が映画公開直後に『キネマ旬報』に発表した「公開状」に詳らかにされている。この「公開状」を契機にして, いわゆる「祇園祭」論争が勃発し, 実に半年に渡って『キネマ旬報誌上』での論争が展開する。伊藤はここで, 対立関係にあった鈴木尚之・清水邦夫の脚本を, 「主人公の新吉とその恋人あやめの情事を主軸にして作品の「魂」である自治精神の根本義をどこかへ置き忘れてしまっている」と批判する。しかし本稿ではこの言葉を伊藤にとっての『祇園祭』批判の核心ではないと読む。伊藤が, まず紙芝居「祇園祭」とその書籍(初演は1952年, 書籍化は1953年)に出会って以来, 映画化を構想し続けたことの意味を, 伊藤のフィルモグラフィーを遡り, いわゆる「傾向映画」との接続・非接続の観点から考察した。その結果, 時代劇のスタイルをカモフラージュとして「現在」の政治・社会を描いた伊藤が, 『祇園祭』において, サンフランシスコ講和条約締結後も「半占領状態」が続いた日本を, 民主主義の勝利の象徴としての主人公の姿に重ね合わせたと読み解き, そしてその演出方法には, 「傾向映画」のセルフリメイク作品であり, 検閲による頓挫を幾度も乗り越え, 自らの作家としての「抵抗」をある種, メタ的に示してもいる, 『下郎の首』(1955年)が引用されていることも指摘しつつ, 主人公が理不尽に死んでいくラストを現代に重ね合わせるという演出プラン, 同時代における民主主義の勝利の象徴としての主人公のアクチュアリティを視覚的に表現することに, 伊藤のこだわりがあったのではないかと推論した。また一方で, 伊藤はそもそも民主主義の勝利という単純化されたテーマではなく, 民主主義の勝利と敗北という両義性または複雑性にこそ関心があったことも指摘した。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 116 183-205, 2021-03-31

    京都大學人文科學研究所

参考文献 (41)*注記

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