六人部是香の国学学びにおける篤胤学の受容

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  • Acceptance of Atsutane's Theory in the Case of Mutobe Yoshika
  • ロクニンブ ゼ コウ ノ コクガク マナビ ニ オケル アツタネガク ノ ジュヨウ

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抄録

六人部是香(寛政10年-文久3年)は,山城国向日神社の神職として,京阪地域を拠点に 活動した国学者である。自己の学問形成の過程において,初め本居大平を師とした六人部は, その後平田篤胤の門人となることを契機として,それまでの歌学を中心とした学問の内実を 転回させていく。本稿は,在地社会における六人部の神職としての位置と学びの過程及び篤 胤学の受容の経緯を考察し,幕末期の神職における国学学びの一様態を明らかにする。

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