内科・循環器診療の半世紀弱:変わったこと変わらないこと

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  • ナイカ ・ ジュンカンキ シンリョウ ノ ハンセイキ ジャク : カワッタ コト カワラナイ コト

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抄録

半世紀弱、内科・循環器領域、随分と「パラダイムシフト」が起こった。世代を経て方法論は当然異なるが、脈々と疾病の知識と治療の技量を交錯しあい、進歩・変革が起こる。その過程で、古い理解の否定も当然起こる。儀礼として世代・歴史を橋渡し紡ぐこと。改めて、寛容な先輩・同輩・後輩に感謝である。内科・循環器医としてキャリアーを開始したころ、「医局」には定員増もあり若者があふれていた。賑やかでもあり、暑苦しかった。診療録は3カ国語で書かれ、しかも、診療科ごとに形式が違った。平均在院日数は50日余であり家族以上の付き合い、他科への受診にはコンシェルジュとして原則随行した。関連病院での受け持ち数は20人であった。年中走り、時間に追われていた。カンファレンス前日は帰宅困難だった。月にどのくらい自宅に帰ったか。徹底的に臨床力:「聞く、診る、語る、記録する」を鍛えられた。「医学および科学的事実とか技術より、医療者らしい考え方と姿勢・基本行動=型」を徹底的に叩き込まれた。あれほどの熱量が互いに何故あったのか?思えば何も解っていなかった。従ってガイドライン・マニュアルは当然なく、成書にすら記載は乏しい。未知未確立の現象に溢れていた。冠動脈疾患診療では、急性冠症候群の名称はなく成因不詳:プラーク破裂と局所血栓閉塞は未だ有力な成因の候補。発症からCCU入院まで平均5-6時間で院外死亡が高率かつ院内予後では重症比率が高い。K4F4・院外心肺停止の死亡率は、ほぼ100%。診断的冠動脈造影検査の5%は心室細動となり、血管および器質性心疾患のインターベンション治療が産声、心不全にはβ遮断薬と運動療法は絶対禁忌。大動脈瘤と肺梗塞は「病院」に到達しなかった。スタチンは治験段階の未知薬:LDL介入術の模索をしていた。降圧治療手段の概念は確立されていたが、CCB・ACI/ARB など降圧外効果不明だった。顕性化した2 型糖尿病は「羸痩」、合併冠動脈硬化病変は、燃え尽き状態で「二次予防効果」が期待できない。当然、「インスリン抵抗性と代謝性症候群」は概念すらない。心リハは保険適応外で合併症管理と社会復帰の一手段と認識されていた。不整脈診療では、薬剤は徹底的に役者不足。一入院の心電図記録は平均20枚強。EPは徐脈検査でVT誘発薬効評価に驚愕、マッピング装置はない。抗頻拍ペーシングは用手マグネットによる停止型、ICDは20回の除細動で電池切れ。アブレーションは開心術中のみであった。などなど。循環器領域の診療の水準は格段に向上した。少しは寄与したのだろうか?次世代にバトンタッチできたか?先輩諸兄から頂いた医師としての姿勢に造語を交え、今後も変わらないことを願って、次世代に託したい。

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