比較の状況で用いられる「-게 되어 있다」の成立条件

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タイトル別名
  • ―「-く/になっている」との対照の観点から―

抄録

本稿は、空間的な量および評価を表す形容詞を用いた文をとりあげ、2つの対象を眼前で比較する状況で「-게 되어 있다」が成立するための条件について、「-く/になっている」と対照して考察した。考察の結果は以下のとおりである。<br> <br>  1. 「-게 되어 있다」文は、「-くなっている」が表し得るような認識的変化 (話し手がもつ前提と眼前の状況との差異を認識することにより、認識上で主観的にとらえられる変化) を表すことはできない。<br>  2. 「-게 되어 있다」文は、i) 対象に差が存在することに相応の意味があることを把握している状況、ii) (結果的に) 対象に差が存在するかたちでつくられたこと自体を問題とする状況で成立する。<br>  3. 「-게 되어 있다」文は、「-く/になっている」文と同様に、評価形容詞とはなじまない。その理由は、一般に、人の容貌や花の美しさは、人為的な行為を経て被動的に形成されるものと解釈しにくいためである。ただし、人為的に手を加えられるなどして、対象に差が存在することに相応の意味があると理解しやすくなる場合には、例外的に成立することがある。<br>  4. 「-게 되어 있다」と「-く/になっている」の成立状況はおおむね一致するが、どちらか一方のみが成立する場合もあることから、両者の意味機能には相違点があるといえる。

収録刊行物

  • 朝鮮語研究

    朝鮮語研究 9 (0), 121-136, 2022-02-22

    朝鮮語研究会

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390573242767984384
  • DOI
    10.50986/koreanlinguistics.9.0_121
  • ISSN
    24365661
    13472690
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • KAKEN
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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