<論説>武家諸法度と諸士法度 --末期養子の禁緩和の再検討を手がかりに--

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>A Study of the Buke Shohatto and Shoshi Hatto, Based on a Reexamination of the Relaxation of the Prohibition on Deathbed Adoption
  • 武家諸法度と諸士法度 : 末期養子の禁緩和の再検討を手がかりに
  • ブケ ショ ハット ト ショ シ ハット : マッキ ヨウシ ノ キンカンワ ノ サイケントウ オ テガカリ ニ

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抄録

大名を対象とした武家諸法度と同様の発布方法により、三代将軍徳川家光・四代将軍徳川家綱は、旗本対象の諸士法度を発布した。これまで大名対象の政策として理解されてきた末期養子の禁は、諸士法度にのみ規定され、慶安四年(一六五一)の緩和は、諸士法度の改訂というのが実態であったので、緩和に慶安事件の影響をみる通説は成り立たない。ただし、武家諸法度と諸士法度は、法制上の対象範囲をこえて、当時の武家社会に広く影響力を及ぼしていた。末期養子の禁およびその緩和についても、大名にもその影響が及んだと考えられる。五代将軍徳川綱吉は、従来の両法度を統合した武家諸法度天和令を発布した。両法度から引き継いだその内容には独自性はなく、大名・旗本を等しく対象とした点にこそ天和令の歴史的意義がある。「文武忠孝」で始まるその第一条も、従来の諸士法度の第一条を取り入れたものであり、そこに文治主義的な志向性を読み取るべきではない。

収録刊行物

  • 史林

    史林 105 (2), 259-293, 2022-03-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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