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- 堀内 大暉
- 京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程
Abstract
1960年代の実験映画の動向の一つである構造映画は、これまでメディウムにとって非本質な要素を削減し、媒体固有性を見出そうとするモダニズム芸術の文脈下で理解されてきた。しかしながら、ロザリンド・クラウスが「ポストメディウム」論で指摘したように、構造映画の媒体固有性を巡る探究は、映画の有する複数の支持体に由来していた。つまり構造映画は、単一の物理的な支持体に還元することのできない映画に対し、モダニズム的なアプローチを試みるという、いびつな動向である。本稿では、この構造映画が抱える「いびつさ」に着目し、以下を明らかにする。まず第一節では、構造映画をモダニズムからポストモダニズムへと移行する過渡期に位置付けることで、モダニズム的な手続きを経て映画の媒体固有性を見出そうとする構造映画が、まさにその媒体の生来的に持つ複数性によって、他の芸術のメディウムと混淆する間メディウム的な側面を持つことを明らかにする。続く第二節では、構造映画の作家の中でも特にモダニズムに忠実な映画制作を行っていたポール・シャリッツの実践に焦点を当てる。シャリッツの明滅映画と理論的な著作を手掛かりに、映画の複合的なメディウムをモダニズム的なアプローチによって前景化しようと試みるシャリッツの実践を再検討することで、シャリッツの明滅映画が多様な支持体の統一性を志向しているのではなく、むしろその不統一性を志向していることを明らかにする。
Journal
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- 左岸 : 京都大学映画メディア研究
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左岸 : 京都大学映画メディア研究 1 3-21, 2021-08-17
京都大学大学院人間・環境学研究科 映画メディア合同研究室
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Keywords
Details 詳細情報について
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- CRID
- 1390574721485182208
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- ISSN
- 24366013
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- HANDLE
- 2433/275975
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- Text Lang
- ja
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- Data Source
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- JaLC
- IRDB
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- Abstract License Flag
- Allowed