The Ninety-Eight Proclivities (<i>anuśaya</i>) in the <i>Madhyamakapañcaskandhaka</i>:Further Evidence for Candrakīrti’s Authorship

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Other Title
  • 『中観五蘊論』における九十八随眠の解説――チャンドラキールティの真作を支持するさらなる根拠として――
  • The Ninety-Eight Proclivities (anusaya) in the Madhyamakapancaskandhaka : Further Evidence for Candrakirti's Authorship

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<p> チベット語訳のみが現存する『中観五蘊論』は,伝統的にチャンドラキールティに帰されてきたが,一部の研究は慧の解説のみが同論師に帰される可能性を指摘する.筆者はこれまでに発表した論文において,これらの研究の指摘を批判的に検討した上で,いくつかの根拠を提示して,論全体が同論師に帰される可能性が高いことを示した.本稿では,同論における九十八随眠の解説に注目し,チャンドラキールティの真作を支持するさらなる根拠を提示する.また『中観五蘊論』の著者性や性格を考慮した上で,上記の点をさらに掘り下げて,二諦説との関係から有部教学に対する同論師の理解を考察する.</p><p> はじめに『中観五蘊論』における随眠の解説の構成を示した後に,九十八随眠の解説の内容を確認し,随眠が忍と智による断惑の理論と合わせて説かれるという特徴を指摘する.次にそれを『入阿毘達磨論』における九十八随眠の解説を比較し,有部の伝統的な解説との相違点を指摘する.また,四向四果が説かれる位置からも,『中観五蘊論』において九十八随眠の解説が断惑の理論と合わせて理解されていることを指摘する.</p><p> 続いて,これと同じ特徴を有する,随眠説を含む断惑理論の解説が『明句論』第24章の第3-5ab偈の注に見られることを指摘する.慧の解説以外において,チャンドラキールティの他の著作と類似する解説が見られる点は,『中観五蘊論』全体を同論師に帰す根拠となる.</p><p> さらに本稿では『明句論』の同じ章の第8-10偈に説かれる二諦説に注目する.筆者がこれまでに明らかにした『中観五蘊論』の著者性,ならびに初学者が無我を理解するための基礎として有部の法体系を中観派の視点から略説するという同論の性格を考慮に入れて,チャンドラキールティが,その実在論的な側面を否定しながらも,有部の教学を世俗諦の一部として認めている可能性を指摘する.</p>

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