[研究ノート] 戦前・戦時期の預金部の国債運用(1)

書誌事項

タイトル別名
  • [A Note] The Investment in JGB of the Finance Ministry Deposit Bureau in Prewar Japan(1)
  • 戦前・戦時期の預金部の国債運用(1)
  • センゼン ・ センジキ ノ ヨキンブ ノ コクサイ ウンヨウ(1)

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説明

1925年の預金部改革の実現により確立された預金部の資金運用における「国家公共の利益」と「有利確実」の二原則を踏まえて,戦前・戦時期の預金部の資金運用のあり方の変化とそこでの預金部の国債運用の動機を究明することが本稿の課題である。1920年代後半以降,新規国債の発行方法については預金部引受に依存することになり,新規国債の主要な元引受機関となった預金部の1932年度までの新規運用の決定においては,国債を円滑に発行,消化するという「国家公共の利益」の原則に重点が置かれ,国債運用が優先された。その後,1932年の新規国債の日銀引受と日銀引受国債の売りオペ開始以降,預金部は,新規国債の主要な元引受機関としての機能を低下させ,売りオペ時の日銀引受国債の購入・保有主体の一つとなるが,1933年度以降の預金部は,国債運用を優先せず,新規運用の決定において「国家公共の利益」の原則には重点を置かなくなった。一方で,預金部の資金運用における地方資金の多くは預金部の資金コストを下回る低率運用の時局匡救関係資金であったことから,1933年度から1935年度までの新規運用の決定において預金部は,不利益とならない程度に資金コストを上回る運用利回りを確保し最も安全な資金運用であるという「有利確実」の原則に重点を置き,預金部資金の運用利回りの向上を目的とした国債運用を行った。また,新規国債の日銀引受と日銀引受国債の売りオペ開始以降,新規国債の元引受機関は日銀に一元化される可能性もあったが,1933年度以降も新規国債の預金部引受は継続され,新規国債の元引受機関は日銀と預金部に二元化されたままとなった。

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