アドルノにおける自由と規範 : 主体概念の見直しと道徳判断の可謬性

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タイトル別名
  • Adorno's theory of freedom Rethinking of Autonomie and Falliability of moraljudgements
  • アドルノ ニオケル ジユウ ト キハン シュタイ ガイネン ノ ミナオシ ト ドウトク ハンダン ノ カビュウセイ

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抄録

アドルノは「管理された世界」や組織的な暴力を批判する際、しばしば「自由」や「自律」といった規範的理念に依拠している。その際、特に意識されているのはカントのそれである。だがアドルノの自由論は、カントの自律の思想の援用というよりも、むしろそれに対する論争的な対質により形作られているといってよい。本稿では、アドルノの哲学的主著たる『否定弁証法』はもとより、最近新たに公刊された資料なども交え、その主要な論点について吟味する。カントが自律的な意志をもっぱら「普遍的法則」としての道徳法則と関係づけ、これをそのつど意欲される客体の性質から徹底して切り離すのに対して、アドルノは、自律をむしろ客体、すなわち、そのつど出会われる他者の実質や、自己自身の内なる他者、例えば、法則的で一貫した意志には柔順ではない「多様な心のうごめき」などとの関係においてとらえようとした。また、「道徳的カテゴリーの真の遺産」として「みずからの可謬性への意識」をあげ、道徳法則の必然性を強調するカントに対峙する姿勢を見せている。アドルノは自由をカント的な「法則的な意志」の束縛から解き放とうとするあまり、自発性にはある種の偶発的契機がともなうことを強調した。これは行為論としてはやや粗さを免れない。だが、自由な行為が、発生論的には、目的志向的な意識以前に、生態の環境に対する神経生理学的、心理学的な感応性を必要としているとの示唆は、観念論的な主体の観念の欠如を補うものだといえよう。

収録刊行物

  • 年報人間科学

    年報人間科学 23-1 41-57, 2002

    大阪大学大学院人間科学研究科社会学・人間学・人類学研究室

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