<論文>映画『燃えつきた地図』における「都市への解放」 --都市論、ジェンダー論の観点から

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  • 内山 翔太
    京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程

抄録

都市は近代化の過程のなかで、農村共同体を離れて移動・流浪する人々の空間として顕在化するようになった。日本が高度成長期のただなかにあった1960年代末には、日本映画においても、こうした現象を意識した作品が製作された。本稿では、そのなかでも勅使河原宏が監督し、安部公房が原作・脚本を執筆した映画『燃えつきた地図』(1968年)を取り上げ、都市論・ジェンダー論の観点から論じる。まず、作品公開当時の言説のなかで、この作品が同時代の都市との関連において、どのように論じられていたかを概観する。とりわけ、原作者・脚本家の安部公房による都市論に着目するとともに、1960年代末の日本における、急拡大する都市についての活発な議論のなかで、安部の都市論が占めていた位置を検討する。続いて、『燃えつきた地図』をジェンダーの観点から分析する。本作品に関する公開当時の言説には、ジェンダーの観点はほとんど存在していない。しかしながら、本稿での分析を通じて、映画『燃えつきた地図』における都市の表象が、男性を主体の位置に据えながらジェンダー化されていることが明らかになる。最後に、安部が都市論を展開するなかで示した、従来の共同体の徹底的な解体と、都市住民の移動性の追求によって「都市への解放」を目指す立場が、そうした男性中心的な図式を転覆させる可能性について考察する。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390575661589935360
  • DOI
    10.14989/kjcms_2_03
  • ISSN
    24366013
  • HANDLE
    2433/277438
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
  • 抄録ライセンスフラグ
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