中性水素の遷移線で見る宇宙の暗黒時代

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タイトル別名
  • Cosmic Dark Ages with Neutral Hydrogen 21 cm Line

抄録

<p>月面に天文台を作る,というマンガのような話が,人類未踏の宇宙を探るために大真面目に検討され,現実になろうとしている.</p><p>宇宙の一番星が輝きだすよりも以前の時代(宇宙年齢40万年~1億年ごろ)のことを宇宙の暗黒時代と呼ぶ.宇宙の暗黒時代においては,宇宙空間には中性水素ガスとわずかなヘリウムが漂うだけで星や銀河などの輝いている天体は1つとしてない.そのため,可視光や近赤外線による宇宙大規模構造観測や電波による宇宙マイクロ波背景輻射観測では見ることができない.この時代を観測しうるほとんど唯一の方法は,中性水素の超微細構造間の遷移に伴う波長約21 cmのスペクトル線である21 cm線である.21 cm線は宇宙空間の膨張によって波長が伸びるため,観測波長ごとに異なる時刻の宇宙の物理的状態を反映した情報を我々に提供してくれる.</p><p>宇宙論観測における中性水素21 cm線の観測量としては,グローバルシグナルと呼ばれる当時の中性水素ガスの平均輝度温度を測定する方法と,輝度温度の空間的なゆらぎを測定する方法の主に2つがある.その中でも特に,暗黒時代グローバルシグナルは星形成や宇宙再電離などの影響を受けないことから,純粋に宇宙論のみで理論値が与えられる.もし理論予言と異なるシグナルを測定することになれば,それは「標準宇宙論の破れ」の証拠となる.一方で,暗黒時代21 cm線輝度温度の空間的なゆらぎは,観測周波数ごとに異なる時刻の物質の密度ゆらぎの情報が直接反映されている.バイアス因子などの不定性なく精密な理論予言が行えるだけでなく,宇宙マイクロ波背景輻射や宇宙大規模構造の観測では測定の難しい小スケールのゆらぎを精密に捉えることができるため,インフレーションや暗黒物質などの多様な物理現象への知見を得ることができる.さらに,他の宇宙観測と比較して十分大きな3次元的観測体積を持つことから,これまでにない観測精度で宇宙論パラメータを決定できる.</p><p>現在,地上において中性水素21 cm線を用いた遠方宇宙,特に宇宙の夜明けから再電離期(1億年~数億年ごろ)をターゲットとした観測が多数実施・計画されている.その中でも,2018年にEDGES(Experiment to Detect the Global EoR Signature)実験により,宇宙年齢2.3億年ごろに対応する21 cm線周波数帯のグローバルシグナルの吸収線が世界で初めて報告され,注目されている.</p><p>一方で,暗黒時代に対応する21 cm線の周波数は50 MHz以下と非常に低いため,地球の電離層の影響により地上からでは観測することが難しい.暗黒時代を観測できる最も有利な,おそらく現時点でのユニークな観測場所として月が注目を集めている.現在,日本を含め複数のグループが検討を進めており,近い将来に実現するかもしれない.実現すれば,宇宙論・素粒子物理学・天文学など複数の分野で,多くの重要な知見が得られると期待されている.</p><p>そもそも30 MHz以下の低周波数帯域では天文観測が行われたことがない.この帯域で宇宙がどんな姿を見せてくれるのか,どんな興味深い物理現象が見つかるのか,宇宙論に限らずとも月面天文台は我々に新しい宇宙の側面を見せてくれるはずである.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 78 (4), 190-197, 2023-04-05

    一般社団法人 日本物理学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390577133290893952
  • DOI
    10.11316/butsuri.78.4_190
  • ISSN
    24238872
    00290181
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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