1955年頃の山村における焼畑休閑地の利用

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書誌事項

タイトル別名
  • Use of fallow land for slash and burn in a mountain village circa 1995.
  • focusing on grasslands in the ikawa area of shizuoka city
  • 静岡市井川地域の採草地に着目して

抄録

<p>1. はじめに </p><p> 焼畑では、その耕作期間よりも長い休閑期間がもたれ、自然の遷移により土地の回復が図られた(福井 2018)。遷移の中で現れる、さまざまな有用植物は、食材に利用されたり、栽培して換金されたりして、山村の生活を支えた。</p><p> また、焼畑休閑地は、多様な利用が行われてきた。例えば、静岡市井川地域の田代や小河内集落では、焼畑休閑地を採草地にしていた事例が報告されている(静岡県 1991)。さらに、同じ地域の上坂本集落でも、焼畑休閑地の採草地の草を干して畑に入れ、家周囲の常畑、茶畑、集落内の常畑、集落外の山の常畑という、複数の耕作地の土壌を維持していた。干した草を緑肥にすることで、土が増えると考えられていた。焼畑を集落近くに作る上坂本では、集落の耕作地に、1日に2回以上草を運べる採草地が、良い場所と言われた。このように、大量の緑肥を入れる理由は、耕作地に石が多い事に加え、年間3,000mmを超える降雨で、土壌が流れやすかったことに起因していると考えられる(川上 2023)。 </p><p> 本発表では、1955年頃の上坂本集落の焼畑休閑地の採草地利用について、その詳細を明らかにしたい。</p><p>2.調査方法 </p><p> 静岡市井川地域の上坂本集落において2020年10月から2022年にかけて現地調査を行った。また、国土地理院所蔵の1947年撮影の空中写真を閲覧し、焼畑の位置を把握した。上坂本集落の住民と、集落出身者の中の焼畑経験者から聞き取り調査を行った。 </p><p>3.結果 </p><p> (11955年頃の上坂本集落では、焼畑以外の耕作地全てに、焼畑休閑地の採草を利用した、緑肥が使われた。</p><p> (21953年当時、集落には、25世帯139人が暮らしていた。集落は、大井川沿いにあり、家周囲と、後方の山の緩斜面に耕作地が点在していた。焼畑は、春に焼かれ、4年ほど耕作を行った。2年目に植林が行われる焼畑と、休閑期に植林をしない焼畑が混在していた。焼畑の草取り作業は、通常、年3回で、3回目は種子をつけた草の除草を目的としていた。翌年から休閑が予定された焼畑は、3回目の除草を行わなかった。</p><p> (3)A氏の事例では、採草地の利用年数は、植林した苗が生長したり、植生が回復したりする間の、約5年間であった。採草期は、草丈が伸びて量が得られ、種子がつく前の8月上旬が適期であった。しかし、数か所の休閑地は合わせて1町程もあったため、人手も頼んで9月中まで、草刈りを行った。草を刈ると、地力が落ちると認識されていたが、集落に近い緩斜面の休閑地は、採草も、緑肥の運び込みもしやすく、採草が続けられた。</p><p> (4)採草を緑肥にするためには、刈った草を束ね、直径2.5m程の円錐形にし、休閑地で冬期まで干しておく。草束は、カッポシと呼ばれ、1か所の休閑地に10束くらい置かれていた。冬期に集落の常畑に運んで鋤き込んだ。茶畑には防草を兼ね、株間に敷いた。休閑地に出現した草木は全て利用するが、ヨモギ、カヤ、アカソ、ノフタギ(現地名)は、草丈が高くなり緑肥の量が増えた。干すと葉が落ちるアカソも、葉が大きいという利点から、束ね方を工夫して利用した。ヨモギは2年程で出なくなり、優勢となるカヤを刈った。休閑地の木が生長すると、草丈が小さくなったり、生えなくなったりするため、採草地としての利用を中止する。</p><p>4.まとめと考察 </p><p> 1955年頃の上坂本集落の焼畑休閑地の採草地利用について、採草方法や、採草の種類などを具体的に明らかにした。土壌を増やすため、緑肥が必要であったが、鋤き込む先の畑の耕作中に、栽培の邪魔になる草の繁茂は避けねばならなかった。このため、草がある程度生長し、種子をつける前の8月上旬が採草期となった。また、休閑直前の焼畑には、種子のついた草を残し、休閑地での草の出現を促した。上坂本集落の休閑期は20年から25年であったが(山田 1994,31頁)、採草地の利用は、はじめの数年であった。そのわずかな期間の中でも、採草の種類が、遷移に合わせ変化していくことは興味深い。</p><p> 焼畑の休閑林は、遷移の中で現れるさまざまな資源が利用される、一種の里山のような役割があることが指摘されている(佐藤 2018,411頁)。土壌に恵まれなかった上坂本集落では、集落近くの焼畑休閑地に現れる草は、有用な「資源」であった。焼畑休閑地の利用について、さまざまな面から今後も着目していきたい。</p><p>(本調査は、令和4年度生き物文化誌学会のさくら基金と、総合研究大学院大学の学生派遣事業の助成、筑波大学山岳科学センター井川演習林の施設利用の協力を受けた。)</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390577144549314432
  • DOI
    10.14866/ajg.2023s.0_177
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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