実業家・教育者平生釟三郎における“liberate” な社会と軍事国家体制との相克(4) ―平生日記(1913.10.7.~1945.10.12.)に見る戦前日本の実像―

書誌事項

タイトル別名
  • The industrialist and educator Hachisaburo HIRAO: The conflict between “liberating” Japanese society and the Military State System Hirao’s Diary 10/7/1913~10/12/1945
  • ジツギョウカ ・ キョウイクシャ ヘイゼイハツサブロウ ニ オケル"liberate"ナ シャカイ ト グンジ コッカ タイセイ ト ノ ソウコク(4)ヘイゼイ ニッキ(1913.10.7.~1945.10.12.)ニ ミル センゼン ニホン ノ ジツゾウ

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抄録

健全財政主義,労資協調および自由貿易が日本のあるべき経済体制と平生は確信していたが,世界は高度保護関税やファシズムの台頭によって分裂し,日本も軍部のために自ら世界から孤立する道を選択する。それが満州国の建設であり,日中戦争による華北臨時政府の樹立などであった。平生は,ことここに至れば,その状態を前提にできうる限り彼の描く経済体制を占領地域とともに創りあげようと努めるが,軍部という壁は余りに固くて高く,政府は余りにも脆弱であった。平生は日本製鉄のトップに立って,華北軍司令官最高経済顧問となって日中双方にとって合理的な経済体制の構築を構想するが,突然その職を解かれて彼の構想は水疱に帰し,満州国との関係では,「日満一如」のもとで満州国の鉄鋼・石炭業を日本製鉄の傘下に加えようとしたが,それも奏功しなかった。労資協調については大日本産業報国会会長となってその実現に努めるが,彼が脳卒中で倒れたこともあり,単なる失業関連事業で終わってしまう。終戦後の10月24日,失意のうちに,波乱に満ちた80年の生涯を閉じた。

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