古代山城の立地環境─百済・新羅との比較を通して─

抄録

本研究では、古代山城と近接する官衙に着目し、朝鮮半島の古代国家である百済の地方統治機関であった「五方城」および、統一新羅の地方都市である「九州五小京」の治所の立地環境と比較研究をおこなうことで、その特徴や相互の影響の有無などを検討した。特に、山城の自然地理学的な立地状況だけでなく、官衙施設や墳墓との位置関係、そして同地域における百済から新羅への遺跡の立地の変化などについて歴史地理学的方法を応用し、さらに考古学的な調査研究成果も加えることで、より詳細な検討をおこなった。 日本の古代山城は、六六四年から六六七年までの段階と、文献史料に記載のない山城が北部九州と瀬戸内に多数築造された段階で、その立地環境は大きく異なる。百済の方城は、軍事的側面、地域経営的側面を考慮すると、その立地は統治する中心地を見渡せる丘陵や低山地に築造された。日本の文献記載のある古代山城は、方城の立地ではなく、百済の王都であった泗沘城の防衛のために周辺に単体で配置された城の立地と類似するものがほとんどである。官衙施設と山城がセットとして捉えられる状況は、新羅の九州と五小京の治所と類似するものと考えられる。官衙と山城の位置関係は、山城が治所のすぐ後背山地に築造される場合と、同一河川沿いや交通路沿いで少し離れた場所に築造される場合がある。

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