統計にみる三重県内の近代「花街」

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タイトル別名
  • "Kagai" in Mie Prefecture : Analysis of the Statistics from the Meiji Period to the Early Showa Period
  • トウケイ ニ ミル ミエ ケンナイ ノ キンダイ 「 ハナマチ 」

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抄録

本稿は愛知県,岐阜県を対象とした拙稿[1][2]に続き,三重県を対象として,明治~昭和 初期の統計から近代花街の一端を明らかにしようというものである。なお花街とは,料理 屋(料亭),待合茶屋,芸妓置屋が集積する遊興空間を指す。芸妓置屋に身を置く芸妓が, 取次をおこなう検番の差配により,料亭や待合茶屋に出向き,芸を披露し宴を盛り上げた わけだが,こういった宴をお座敷と呼んだ。  かつては,全国津々浦々600か所程度はあったとされる花街だが,現在は30~40程度に まで減じている。本稿の対象である三重県内に限ってみれば,花街は現在,桑名しか残っ ておらず,三重県内にかつてあった花街について窺い知ることは容易でない。そこで本研 究では,国会図書館に所蔵されている明治~昭和初期の『三重県統計書』(三重県発行) に掲載されている花街関連統計データを整理し,近代における三重県内の花街の盛衰を明 らかにすることを目的としている。

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