姫路城三の丸御居城鶴ノ間の復元考察

抄録

現在の姫路城は、慶長5 年(1600)に池田輝政が三河吉田15 万石から播磨一国52 万石へ転封し、翌慶長6 年 (1601)年から建設したことに始まる。国宝に指定されている大天守、乾、西、東小天守およびイ、ロ、ハ、ニの渡櫓は慶長14 年(1609)頃のものであり、天守は5 重 6 階地下1 階の望楼型で、これに乾、西、東の3 基の小天守が渡櫓で環状につながる連立式天守である。縄張は内郭、中郭、外郭からなる梯郭式で、大手を南に、搦手を東北にとる。内郭は天守丸、本丸、二の丸、西の丸、三の丸からなり、さらに作事所出丸、搦手の東三の丸、勢隠が付随する。 姫路藩藩主は池田輝政(池田家)から第一次本多家、奥平(松平)家、第一次松平家、第一次榊原家、第二次松平家、第二次本多家、第二次榊原家、第三次松平家、酒井家と数多く入れ替わる。中でも寛延2 年(1749)に入封した酒井家(酒井忠恭)が最も長く、廃藩まで姫路藩を治めていた。 本研究で復元対象とする姫路城三の丸城御居城(以下、御居城とする。)は、三の丸に置かれた御殿で、元和4年(1618)に第一次本多家の本多忠政が拡張したと伝えられるものである。三の丸にあったこれら御殿群は全く残っていないが、後述する絵図や史料、御殿建築の修理工事報告書、『匠明五巻考』(以下、『匠明』とする)などから、御居城の中でも最も重要な室であった鶴ノ間(上の間)の復元を試みる。なお、なお、復元対象とする「御居城」の呼称については、「御本城」、「三ノ丸御居城」、「西屋敷」、「常之丸」などがみられるが、本稿では「御居城」とする。

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