装束からみた豊臣政権の支配秩序
書誌事項
- タイトル別名
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- The Ruling Order of the Toyotomi Administration from the Viewpoint of Costumes
抄録
多くの公家衆が揃って豊臣秀吉のもとに参集して御礼を行う「惣礼」の形態は秀吉の政治的地位の上昇にともなって変化している。天正一二年から堂上公 家衆は室町期・織田期における武家権力者との対面儀礼の先例に則り、惣礼の際に「直垂」を着用した。これは秀吉の関白就任によっても変わることはなかった。秀吉は、天正一五年以降、官位・家格を利用することで惣礼を公家・武家全体を包括する秩序編成の場に改編するとともに、儀礼空間における「衣冠化」をすすめた。こうして、豊臣政権の支配秩序に応じた服装区分は完成したが、装束から見た場合、豊臣家は摂関家の一つでしかないという問題点が残った。そこで、文禄四年にいたって、秀吉は天皇装束である「引直衣」に「唐冠」という全く新しい組み合わせで参内を行い、慶長二年には秀頼とともに惣礼の場でもこれを着用することで、豊臣家の絶対性を示すにいたったのである。
収録刊行物
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- 洛北史学
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洛北史学 17 (0), 68-92, 2015-06-06
洛北史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390578316695505536
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- ISSN
- 2436519X
- 13455281
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可