宝石としての玉とヒスイ(翡翠輝石)について

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  • Gyoku or Jadeite as a gem in Japan

抄録

<p>玉(Gyoku)は,縄文時代に勾玉として翡翠輝石が使われていたことが知られている.</p><p>「三種の神器」の一つになっている玉は,中国の「三国志」(280-297 年)には青玉と紹介されている.わが国の「古事記」 (712 年)や「日本書紀」 (720 年)に記述され,そして「万葉集」(759- 780 年)でも詠まれている玉は,その後の「延喜式」にも登場する.これらに書かれている玉が翡翠輝石であったのか不明であるが,わが国では,玉を宝石とみなしても異論はないであろう.</p><p>明治期に鉱物学が導入されたが,当初は翡翠輝石の記載がなかった.鉱物学は,かつて金石学とも呼称され,わが国の近代化のために必要な鉱山に関連する鉱物が着目されていた.しかし翡翠輝石は,明治期の富国強兵・殖産興業に役立つ鉱物として見なされていなかった.</p><p>そして, The System of Mineralogy of James Dwight Dana 1837-1868:Descriptive Mineral-ogy (E.S.Dana, 1901)では, Jade を Nephrite とJadeite に分けている.わが国では,この Jade(ジェード)を軟玉(ネフライト)と硬玉(翡翠輝石)と分類した.</p><p>この Dana の本では,中国産の分析例が紹介されている.その後に版を重ねて著者も変り,1997 年に出版された Dana‘s New Mineralogy では,わが国の小滝産の産地が明記され,カラフルなビルマ産の翡翠輝石についても紹介されている.一方,中国では,新疆ウイグル自治区の崑崙山脈から,希に透閃石-緑閃石(ネフライト)と共に産するとある.</p><p>わが国の翡翠輝石は, 1939 年に「岩石鉱物鉱床学会誌」で初めて記載された.この論文には比較用として香港で入手した中国産のものが掲載されているが,詳細な産地は不明である.</p><p>「宝石誌」(鈴木敏, 1916)にも翡翠輝石の化学分析値(Bull. Soc., Min., 4, 157, 1881)が記載されているが,中国産となっており,わが国の産地については触れていない.また,宝石学(久米武夫, 1953)には,ビルマ産の翡翠輝石の紹介があるが,わが国の産出例は書かれていない.その後の「新宝石辞典」(久米武夫,1962)で,ようやく糸魚川産の翡翠輝石が紹介されるようになる.論文で公表されてから,20年以上も経ってからである.</p><p>わが国において縄文時代から宝石として使われていた翡翠輝石であるが,最近出版された本では,ガーネットや透輝石と同程度の宝石と扱われている.綺麗な翡翠輝石の魅力は誰の目にも明らかである.わが国に産出する宝石として,もっと高い評価を望みたい.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390578360713843456
  • DOI
    10.14915/gsj.45.0_8
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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