明治後期における三菱の内幸町地所購入とその貸地利用:弁護士増島六一郎による貸事務所経営を中心に

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タイトル別名
  • Purchase of land in Uchisaiwai-cho by Mitsubishi and land utilization by its tenants in late Meiji Era: Focusing on the case of the office lease business by a lawyer, Rokuichiro Masujima
  • メイジ コウキ ニ オケル ミツビシ ノ ウチサイワイチョウ ジショ コウニュウ ト ソノ カシチ リヨウ : ベンゴシ ゾウトウ ロクイチロウ ニ ヨル タイジムショ ケイエイ オ チュウシン ニ

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抄録

1. はじめに / 2. 「外桜田」(内幸町・霞が関・日比谷)の近代都市化 / 3. 三菱による内幸町地所の購入と貸地経営の開始 /  (1) 旧東京府庁の入札と払下げ /  (2) 貸地の区割方法と収支・資産状況 /  (3) 借地人の顔ぶれ / 4. 借地人・増島六一郎による土地利用 /  (1) 増島六一郎と三菱との関係 /  (2) 増島法律事務所の丸の内入居と内幸町への移転 /  (3) 増島六一郎と木村粂市による内幸町の借地集積 /  (4) 内幸町の火事と増島の貸家・貸事務所経営 / 5. 内幸町の「インターナショナル・ビルデイング」 / 6. おわりに

本稿の目的は,日清・日露戦後期に三菱が東京の麹町区内幸町に所有した地所に関して,その購入過程を調査し,借地人の特色を分析するとともに,弁護士・増島六一郎による借地利用の実態を追究することにある。 明治初期の内幸町には東京府庁が設置されたが,その土地利用は近世期と変わらなかった。1894年に府庁が有楽町へ移転すると,三菱が翌年にその跡地を落札し,35筆に分割して貸地経営を行った。借地人のなかでも,三菱や岩崎家に所縁のある弁護士の増島六一郎は,5~6筆を賃借した点で特異な存在だった。増島は,その借地に自身の法律事務所を丸の内から移転させただけでなく,木造洋風の貸家経営を行った。明治前期の不動産仲介業は悪評高く,売買・賃貸情報の非対称性が存在したが,平時から予防法学の普及を心掛けていた増島は,この悪習慣を絶たせ,土地家屋に関する法律の浸透を借り手へめざすために,借地上の貸家経営を実施していたと想定される。 他方で,内幸町地所には,「インターナショナル・ビルディング」と呼ばれた大廈が存在し,外国法人に貸し出されていた。こうした貸事務所が日露戦後期に内幸町に存在したことは,条約改正以降,東京への進出を試みた外資系企業にとって,相対的に低賃料で,築地旧居留地や新橋停車場にも近い利便性を活かせたに相違なく,増島が早くから外国商人の代理人依頼を受けていたからこそ実現したのではないかと主張される。

収録刊行物

  • 三菱史料館論集

    三菱史料館論集 2022 (23), 97-128, 2022-03-20

    公益財団法人 三菱経済研究所

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