凡夫の業をめぐるガワンタシの見解

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  • Ngag dbang bkra shis’s View of Ordinary Beings’ Karma

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抄録

<p> 仏教の業報輪廻の理論によれば,真実に対する誤った認識(無明)を断じていない凡夫(so so skye bo, pṛthagjana)は,その真実を原因として善業や不善業を積み,善趣や悪趣へと輪廻する.一方で,真実に対する誤った認識を断じている聖者が,業を積んで輪廻することはない.ツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa blo bzang grags pa: 1357-1419)は,聖者は真実を直証した後も善業や不善業を積むが,彼らがその業によって輪廻することはないと理解する.彼によれば,輪廻の原因となる業を積むのは凡夫である.ただし,このことは凡夫が積む業であれば必ず輪廻の原因になるということを意味するのではない.後代のゲルク派の学僧セー・ガワンタシ(bSe Ngag dbang bkra shis: 1678-1738)によれば,未だ聖者位に到達していない凡夫である声聞資糧道者が積む善業は,輪廻の原因にならない.なぜなら,その善業は輪廻の根源である有身見(’jig lta, satkāyadṛṣṭi)によって発動されたものではないからである.ただし,声聞資糧道者はその善業を積むことによって来世で人間に再生することになる.これは一見すると輪廻しているように見えるが,ガワンタシはそのようには理解しない.彼によれば,解脱や一切智を獲得するためには,何度も人間へと再生し,修行をしなければならないからである.もしも,その再生が輪廻であったら,声聞資糧道者は解脱することができなくなってしまう.ガワンタシの理解の背景には,「輪廻」(’khor ba)とは何かという問題があったと考えられる.彼にとって「輪廻」とは,業によって再生すること全てを意味するのではなく,その再生が業を積んだ本人に苦しみをもたらすことだけを意味するのである.</p><p> 『縁起大論』(rTen ’brel chen mo)の問答を分析することで,ガワンタシが業を「輪廻の原因となるもの」と「解脱や一切智へと導くもの」という二つに分類していることが明らかとなった.彼の理解は「解脱や一切智を獲得するためにはどのように修行をすべきか」という大乗仏教における救済論的な問いに対する一つの答えである.</p>

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