犬養毅総裁期政友会の行政制度設計

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書誌事項

タイトル別名
  • The administrative plan of the Seiyukai Party during the Inukai Tsuyoshi regime
  • Yamamoto Jotaro’s concept of “ministers without portfolio” and the National Policy Council
  • 山本条太郎の無任所大臣・国策審議会構想を中心に

抄録

戦前日本最後の政党内閣である犬養毅内閣は、「各省割拠」を統合するべく国策審議会の設置を計画した。だがこうした制度的統合機能は、本来政党内閣に必要のないものであった。同一の政見をもつ政党員で内閣を構成することで、明治憲法体制の割拠性を克服できると考えられていたからである。<br> 本稿は、政党が統合主体となるための「条件」であった「政党化」による統合方針が挫折し、「各省割拠」が顕在化するなかで、戦前日本の二大政党の一翼である立憲政友会が、制度的統合へと転換せざるを得なくなる過程とその必然性を解明するものである。その際の補助線として、山本条太郎の行政改革構想という分析視角を用いる。<br> 高橋是清内閣期の政友会は、事務の「能率増進」を目的に省を増設するとともに、「政党化」と行政整理を断行するという統合方針を示した。ところが、加藤高明内閣で確立された「政務・事務の区別」の原則はこの方針にとって障害となる。田中義一内閣は、国務大臣を中心とする「責任政治」の原則のなかで統合を模索したが、当該期に激化した「党弊」批判を前に、政友会は統合方針の転換を迫られた。<br> そのため犬養総裁下の政友会では、事務官の身分保障を前提とした統合方針への転換がみられる。また、「国務大臣の行政長官化」が進行し「各省割拠」が問題化するなかで、省廃合により統合を容易化する試みがなされ、それは反対党である第二次若槻礼次郎民政党内閣の行政改革構想とも共鳴するものであった。<br> だが、省廃合断行を試みた若槻内閣は、まさに「国務大臣の行政長官化」の構造により挫折する。ここにおいて、政友会は国務大臣中心の統合を断念し、制度的統合へと転換する。それは「憲政常道」を前提にしながらも「責任政治」とは異なる統合論理に立脚した構想であり、政党内閣を要請する蓋然性を低下させるものであった。以上から、政党政治と挙国一致内閣期の結節点として国策審議会を位置づけた。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 131 (9), 47-73, 2022

    公益財団法人 史学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390578990186084480
  • DOI
    10.24471/shigaku.131.9_47
  • ISSN
    24242616
    00182478
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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