大正ロマンの生んだフェミニスト:山田わか・嘉吉の協働と思想(その13)

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抄録

<p>戦前から戦後にかけて母性主義論者、身の上相談の回答者として知られた山田わか(1879–1957)には、海外で苦界に身を置いていた過去がある。生前わかがそれを公言したことはなかったが、後年、婦人問題評論家になってからのわかは、自身の過去の経歴を思い起こさせたであろう公娼制や廃娼の問題にどのように取り組んできたのだろうか。わかの思想は、新婦人協会(平塚らいてう、市川房枝など)や廃娼運動への取り組みで知られる日本基督教婦人矯風会と重なる部分も多いが、個人誌『婦人と新社会』で彼女の過去の経験が反映されているのではないかと思われるのは、売娼の犠牲者となる貧しい少女たちへの憐憫や、その境遇を生み出す公娼制を支配する権威への怒りを表出させたところにあると考えられる。</p>

収録刊行物

  • ことば

    ことば 44 (0), 143-160, 2023-12-31

    現代日本語研究会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390580143067955584
  • DOI
    10.20741/kotoba.44.0_143
  • ISSN
    24242098
    03894878
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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