新四国借款団の結成と満蒙問題

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タイトル別名
  • The formation of the New Four-Power Consortium and Japan’s “Manchurian-Mongolian Problem”

抄録

本稿の目的は、満蒙問題に注目し、新四国借款団の結成過程における日本の国際関係や対中国政策の特質を再検討することである。本稿の視角は以下の三点である。第一に、旧借款団(六国借款団を起源とする)と新借款団との関係である。第二に、旧借款団の中心的な存在であったイギリスの動向である。第三に、日本国内の政策主体の相互関係である。<br>  原敬内閣は、満蒙を地域として新借款団の事業範囲から除外する概括主義を閣議決定した。シベリア出兵が行われているなか、特に田中義一陸相は日本の国家的前途という観点から満蒙の重要性を説明し、概括主義を主張した。原内閣は英米に満蒙の概括的除外を要求した。これに対し、英米はともに日本の要求に反対した。しかし、「勢力圏」認識に基づき、イギリス外交は次第に方針を転換し、日本と満蒙との特殊な関係に理解を示すようになった。<br>  しかし、原内閣は新借款団への参加を正式に決定しなかった。なぜなら、同時期にイギリス政府は500万ポンド借款を提案し、この借款の条件のなかに寺内正毅内閣の支援によって創設された中国の参戦軍を解散することが含まれており、日本陸軍の反発を引き起こしたからであった。イギリス外交は新借款団結成の遅延を懸念し、参戦軍の解散を500万ポンド借款の条件から撤回した。その結果、原内閣は満蒙の概括的除外を譲歩した一方、「満蒙の鉄道利権」を新借款団の事業範囲から除外するように主張した。英米は日本の要求を認めることはできず、結局、日本が洮熱鉄道を提供することで妥協した。<br>  日本が新借款団に参加する際、国外ではイギリスによる日本と満洲との特殊な関係の承認、国内では陸軍の利害関係が重要な判断基準となっていた。特に後者は、旧借款団の結成時と比較すると、特徴的である。また、原内閣は国際協調をとりつつも、中国情勢の変化にともない、干渉政策を実施していたのであった。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 132 (1), 1-38, 2023

    公益財団法人 史学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390580372657284096
  • DOI
    10.24471/shigaku.132.1_1
  • ISSN
    24242616
    00182478
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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