熱力学不確定性関係の展開

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タイトル別名
  • Recent Developments in Thermodynamic Uncertainty Relations

抄録

<p>量子力学におけるハイゼンベルクの不確定性関係は座標と運動量の非可換性に由来するが,この非可換性は量子性として顔を出す.このように,不確定性関係は系における重要な性質を反映する関係式である.</p><p>近年大きな注目を集める熱力学不確定性関係は確率熱力学における精度と熱力学的コストの間の不確定性を表す関係式である.2015年に発見された熱力学不確定性関係は,高いクオリティには高いコストがかかるという,我々が日々常識として捉えているトレード・オフ関係を熱力学的に定量化したものである(図).つまり,熱力学における「no free lunch」(無料で何かを得ることはない)を表すものであり,物理学,化学,生物学的に重要な意味を持つ.</p><p>熱力学不確定性関係は,観測量の分散を平均の二乗で割った量にはエントロピー生成の逆数の二倍の下限が存在するというものである.熱力学不確定性関係が多くの研究者の関心を引き寄せたのはその一般性にある.熱力学不確定性関係は定常状態にある一般的な確率過程を対象とする上,観測量に関しても移動距離や散逸熱など多くの物理量に対して普遍的に成立する.2015年の段階では,熱力学不確定性関係の証明は線形応答の成立する領域で与えられた.線形応答を超える領域における証明は2016年に大偏差原理と呼ばれる数学的な手法によってなされたが,その後数多くの証明方法が発見され,非定常状態など,多くの場合に成立するよう一般化が行われている.熱力学不確定性関係はもともと古典確率過程において定式化されたが,近年,その研究対象は量子系へと広がっている.古典や量子系における熱力学不確定性関係の発展の過程で,熱力学不確定性関係と統計的推定問題や速度限界との関連も明らかになってきており,熱力学不確定性関係が関連する分野はますます広がりつつある.また,熱力学不確定性関係の発見が発端となり,精度と熱力学的コストの関係に留まらず,様々な物理量の間の不確定性関係が確率熱力学において研究されている.</p><p>熱力学不確定性関係は純粋な科学的な興味の対象のみならず,多くの応用可能性を持つ点で重要である.熱力学不確定性関係は観測量の下限をエントロピー生成で与えるという関係式であるが,見方を変えるとエントロピー生成の下限を観測量の平均と分散によって与えるという解釈も可能である.このような捉え方を応用することで,熱力学不確定性関係に基づくエントロピー生成の推定が可能となる.エントロピー生成推定が可能になると,例えば生体分子の動きからどれだけエネルギーを消費したかが分かるようになるため,生化学的に重要な意味を持つ.エントロピー生成推定は,従来手法では観測が難しい点や,侵襲的であるなどの問題点があったが,熱力学不確定性関係を用いた推定手法はそのような問題点を解決した新たな手法として期待されている.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 79 (3), 108-116, 2024-03-05

    一般社団法人 日本物理学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390580837583111552
  • DOI
    10.11316/butsuri.79.3_108
  • ISSN
    24238872
    00290181
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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