梵文『法華経』における動詞 hā の現在活用の変遷

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抄録

サンスクリットの動詞 hā「捨てる」の現在形は,jahā-ti のように重複語幹をとる。 受動態は hīya-te,未来形は hāsya-ti,絶対詞であれば hitvā ないし vihāya のように派生する。  これに対してパーリ語では,歴史的な語形が一部に残存するものの,jah-a-ti のよ うな幹母音幹語形が優勢である。絶対詞はこの現在語幹から jahitvā のようにつくる。 また新たに hāya-ti の語幹が用いられるようになる。  Mahāvastu では jah-a-ti ないし hāya-ti の両語幹が生産的である。このような中期イン ド語的状況で文献を形成していた学派が,次第にサンスクリット化の洗礼をうけ, 「正規の」語形―具体的には受動態 hīyate ―の使用に傾斜したものであろう。現行 の Mahāvastu に見える hā の活用語幹は,jah-a-ti・jahā-ti・hāya-ti の混用状況に見えるが, それは完全に同時代的なものとは言いがたい。  こうした事情は梵文『法華経』においても同様であっただろう。幹母音幹として は 2 人称複数命令法 Saddhp XV 19b jahathā を例に挙げることができる。校訂本では古 典サンスクリット文法に適う vijahāti の語形が見られる箇所も (KN XIII: 285,12 = WT 244,9f.),中央アジア伝本の並行によれば原形は幹母音幹であったものと思しい (Kashg XIV: 272a5 vijahati)。幹母音幹活用は第XXV章の散文部分になお健在で,希求法の KN XXV: 464,2 = WT 379,9 jaheyur の読みは諸伝本に共通する (= Gilg A: 171,12 ~ Kashg XXVI: 438a1 (jahe)yu)。  重複語幹に基づく -ana- 名詞形 jahane (KN 464,2 = WT 379,8 = Kashg 437b7) はパー リ文献にも用例がある。パーリ語と同形の gerund 形 jahitvā も重複語幹を基礎に作っ たものと解せる。標準文法に適う gerund 形 vihāya が校訂本ないし Gilgit 写本に見 られるものの (Saddhp I 20d; XIII 43c),その本来の読みは中央アジア写本に証明さ れるように jahitva の可能性がある (Kashg 18b2 および273b4)。  現行の校訂本を見る限り,hā の活用形は混在している。しかし写本の読みを参照 すれば梵文『法華経』は本来,韻文・散文を通じてほぼ差異のない中期インド語的 な文法を基礎として形成されたものと想定される。

収録刊行物

  • 歴史言語学

    歴史言語学 12 (0), 71-87, 2023-12-27

    日本歴史言語学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390581301851394944
  • DOI
    10.57565/hlj.12.0_71_5
  • ISSN
    27586065
    21874859
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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