なぜバチスカーフFNRS III は日本に来たか。海洋学における日仏協力の始まり
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- 小松 輝久
- 日仏海洋学会 公益社団法人日本水産資源保護協会
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- ユベール=ジャン セッカルディ
- フランス科学アカデミー
書誌事項
- タイトル別名
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- Why did the bathyscaphe FNRS III come to Japan in 1958 ? The beginning of French-Japanese cooperation in the field of oceanography
抄録
本稿では,1958 年5 月に潜水艇FNRS III がなぜ日本に来航し,日仏の科学者が共に日本海溝を調査したのか,その概要を紹介する。1953 年にトゥーロンで進水したFNRS III は,当時世界で最も先進的な潜水艇であった。日本で深海調査を行っていた東京水産大学の佐々木忠義教授は,1956 年1 月から7ヶ月間,パリ海洋研究所に滞在した。そこで,バチスカーフ・カリプソ運航委員会委員長であるパリ国立自然史博物館・海洋研究所のルイ・ ファージュ教授と出会うことになる。佐々木教授の説得の結果,ファージュ教授はこの潜水艇を日本へ送ることを約束した。佐々木教授は日本の他の団体と共に,FNRS III を日本で受け入れる準備を行った。1958 年5 月に日本に到着した潜水艇は,日本海溝とその周辺に潜降し,貴重な成果を上げた。これを契機として,1960 年4 月,海洋学および水産学の分野における日仏協力の発展と深化を目的に,日仏海洋学会(SFJO)が日本に設立された。以来,SFJO は,海洋学および水産学の分野における日仏間の協力関係を促進し,交流を深めている。
収録刊行物
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- La mer
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La mer 61 (3-4), 87-105, 2024-03-27
日仏海洋学会
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キーワード
詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390581301853166080
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- ISSN
- 24342882
- 05031540
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- 本文言語コード
- en
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可