原子力被災地域における畜産経営再開の意思決定と持続性回復の経路―福島県飯舘村、葛尾村を事例に―

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  • Decision-Making for Resuming Livestock Farming and Pathways to Sustainable Recovery in Nuclear Disaster Area: A Case of Iitate Village and Katsurao Village, Fukushima Prefecture

抄録

<p>2011年3月の東北地方太平洋沖地震に伴う原子力災害により、避難指示区域となった福島県相双地域12市町村では、宅地・農地・畜舎の除染、飼料の実証栽培、自宅や畜舎の再建等を経て、2022年12月末時点で78戸、27法人の畜産経営が再開された。原子力被災地における農業の復興プロセスに関しては、農学を中心に営農再開事例の整理や評価が行われているほか、地理学では岩崎・新井(2023)が、富岡町の営農再開経営体が原発事故前の高い農外賃金並みの農業所得を期待していることを明らかにした。被災地域の農業は、避難指示解除の時期によって復興ステージが異なり(原田・則藤,2021)、再開後に廃業する事例が生じるなど、営農再開農家の実態を中長期的に捉える必要がある。</p><p> 本研究では、2010年以前に酪農と和牛繁殖が農業の中核を占めていた相馬郡飯舘村と双葉郡葛尾村を取り上げ、先行研究(齋藤ほか,2018)では十分に触れられなかった帰村・移住による畜産経営の再開等に至る数段階の意思決定を詳らかにするとともに、営農の持続性回復に向けた取組みを明らかにする。</p><p></p><p> 飯舘村で和牛経営を行っている10戸1法人(2023年3月時点)のうち、半構造化インタビューを実施した6戸1法人の、①避難先での営農継続、②避難中の転居、③帰村・移住の各時点における意思決定に注目した。①について、2011年4月に村全域が計画的避難区域となり、村内の200戸あまりの和牛経営(繁殖,肥育,一貫)農家は村外への牛の移動か、家畜市場や食肉市場への出荷のいずれかの選択をせまられた。県内外の避難先に牛舎を確保し、和牛経営を継続したのは6戸(うち帰村は3戸)にとどまった。避難先での営農継続の意思決定は、避難前の和牛部門の専業度と、後継予定者の有無に規定されていた。かたや、牛舎確保が叶わなかったものの、営農再開の意思を強固に持ち続けた農家も、経営主や後継者が村の復興事業や県外の大規模肥育農場で就労した。②の転居は、2戸の調査農家が経験した。1戸は、飯舘村の農地の保全に通う負担を軽減するため、福島市内に牛舎と自宅を確保した。もう1戸は地酒復活の酒米栽培のための転居であり、避難先の牛舎を後継者に任せる決断に至った。③の帰村の意思決定は、目標とする経営規模と経営主の年齢により、牛とともにある故郷での暮らしを取り戻すことを第一とする経営主と、大規模化によって高収益と産地復興への貢献を実現しようとする経営主に分かれる。後者は、原子力被災12市町村農業者支援事業(4分の1自己負担)や、被災地域農業復興総合支援事業(村が事業主体となり、無償貸与)によって、牛舎等施設の新増築、家畜および機械導入を図っている。これら補助事業の利用は移住者による経営開始の動機ともなっている。</p><p></p><p> 2022年から続く飼料価格高騰と子牛価格の下落は、和牛経営の収益性低下を招き、持続性回復の経路を不透明なものにしている。しかしながら、飯舘村の調査農家は営農計画を大きく変更せず、子牛価格の変動に応じた肥育頭数の調整や、飼料基盤の強化を企図した借入地の拡大を進めている。ただし、収穫調製にかかる労働力の確保や土壌改良に課題が残り、WCS用稲および牧草の大規模な作付を行う行政区営農組合に粗飼料生産の一部を頼っている。一方、再開農家に期待される「飯舘牛」ブランドの復活については、村内肥育牛の道の駅での限定販売や、和牛一貫経営による精肉店開業が実現しているが、収益性向上に直結するものでない以上、行政のかけ声に対する受け止め方には温度差がある。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390581334682905088
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_172
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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