中部ネパール・アンナプルナ南面山地における移牧

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タイトル別名
  • Transhumance among the Annapurna Southern Mountains, Central Nepal.

抄録

<p>中部ネパールのアンナプルナ南面山地はチベット=ビルマ語系の民族であるグルンの故地として知られる。彼らは18世紀のネパール統一に際し、ネパール国王の軍門に下り、統一後にその一部が東ネパールに移住した。その後、「東」のグルンはネパール語を話すようになり、「グルン語を忘れた」という。筆者は東ネパールのグルンが飼養する羊飼いの移牧を研究しており、かねてより「西」と「東」のグルンの文化との違いに関心を抱いていた。だが、「西」における移牧は、民族誌のなかで断片的に触れられるのみであった。発表では、2019年冬と2023年夏の調査により得た「西」のグルンの移牧から若干の東西比較を試みる。調査地はカスキ郡ガンドルック村(標高1940m)周辺である。アンナプルナ南面山地はネパールでも降水量の多い所として知られる。年間4000㎜の雨量があり、冬には降雪もある。同村はアンナプルナ保全地区に属しており、アンナプルナ内院へ向かうトレッキング街道に位置している。このため、住民のなかには、農業や牧畜の他、観光客向けにロッジ経営をする人々もいる。結果として次の点が明らかになった。 まず、家畜種では、ヤク、水牛、羊の移牧がおこなわれている。ヤクは3000から4400m、水牛は2000-3300m、羊は1000-4400m前後まで移動する。ヤクと牛との交配雑種は飼養していない。夏の放牧地(高山草地)は大きく2箇所、アンナプルナ南峰方面と内院方面ある。ヤクは前者の放牧地に行き、羊の場合はどちらかに向かう。水牛は前者の放牧地へ向かう途中に夏の放牧地(樹林帯)がある。なお、内院に向かう羊飼いは氷河を横断して対岸の放牧地へ向かうという。冬の放牧地は、ヤクは3000m付近の森林、水牛は村周辺の森林、羊は1000-2000m前後の村まで下りる。羊の場合、日中は村周辺の森林で放牧し、夜は畑で宿営し、畑を肥やす。放牧料は同じ行政村内では不要だが、別の行政村で放牧する場合は支払わねばならない。畜産物は、ヤクと水牛は搾乳し、バターを作る。羊の場合、かつては羊毛を刈ってフェルトの敷物を加工したが、近年はやっていない。次に、移牧の担い手についてみると、必ずしもグルンだけに限らず、マガールやプーンなどの家畜飼養者も含まれている。南峰方面の夏の放牧地は、マガールやプーンの村のあるミャグディ郡と隣接しており、彼らのなかにはカスキ郡側に家を持つ人もいる。また、南峰方面の夏の高山草地には湖がある。ここには、毎年8-9月の満月の祭りには巡礼がやってくる。羊飼いのなかには、自身の飼養する羊を湖の女神に供犠する人もいる。ちなみに「東」のグルンの間には湖の女神から羊をもらったとの伝説があるが、同じ話は「西」のアンナプルナ南面山地でも確認できた。また、「東」の冬の放牧地では、家畜の豊穣を祈るために川の女神に鶏を供犠するが、夏の放牧地ではこの供犠はおこなわれていない。これは「東」の夏の放牧地がチベット仏教を信仰するシェルパの土地であり、彼らが殺生を嫌うことと関係している可能性がある。また、「西」の湖の女神はミャグディ郡側にある湖の女神の妹神にあたるという。つまり、グルン語を忘れた「東」のグルンにも「西」と共通する要素は残っている。また、「西」のグルンの文化は隣接するマガールやプーンと関わるなかで生まれてきた可能性がある。なお、山上の湖への巡礼はヒマラヤ各地のヒンドゥー教圏に分布する。湖に住まう女神や家畜の供犠は、ヒマラヤ南面山地の山地で生きる人々の文化を考える上で、比較の入口になる可能性がある。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390581334682920064
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_197
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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