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- 瀧澤 利行
- 茨城大学
書誌事項
- タイトル別名
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- Idea of Recuperation (Hoyō) and School Hygiene in Modern Society: From Restoration to Discipline
- キンダイ ガッコウ エイセイ ト ホヨウ シソウ : キュウヨウ カラ タンレン エ ノ キセキ
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説明
本稿は、障害児教育、とりわけ病弱・虚弱児教育や知的障害児教育と深く関係しながら展開してきた学校衛生の普及過程における学童の「保養」に関する思想と実践を検討することによって、近代の学校教育の展開に際していち早く教育の機会均等を想定した実践としての学校衛生の思想形成と実践の過程で、健康障害をどのように同化しようと試みたかを検討することを目的とする。一般的な意味で社会的な観点から衛生的な配慮がなされた時期は、18世紀末以降である。大衆の健康、特に子どもの健康を保護し増進することは、社会共通の利益として考えられるようになった。その観点から、西欧社会で学校の環境整備と児童の健康管理を中心としてschool hygiene, Schulhygieneの概念が成立してくる。19世紀後半より、生活困難者・就学困難者への保健福祉的配慮としての学校衛生が徐々に組織化されていった。日本においても、近代的な学校教育制度の成立とともに、就学に際しての健康上の課題に対応するため、西欧学校衛生思想に依拠した学校衛生の思想と実践が19世紀から20世紀初頭にかけて普及した。この過程で、学校教育における病弱児・虚弱児への衛生的対応として、「保養」を休養・療養の内包を含むものとしてとらえ、これを具体的に展開していく動向が生じてくる。フェリーエンコロニー(Ferienkolonie)としてスイスやドイツを中心に普及していた児童の保養活動を、日本では休暇聚落などと呼称して、種々の形態をとりながら、展開していった。こうした近代日本の学校衛生活動の一環としての保養活動は、主として軽度の健康障害をもった児童生徒を短時間で通常教育に復帰させることを目標としたもので、身心の休養に重点をおきつつも、衛生訓練を必須の活動として内包しており、児童生徒の生活を規範化する側面を有していた。これが「遅れてきた社会国家」の方策としての日本の学校における保養活動が有する一つの特徴であった。
収録刊行物
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- 障害史研究
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障害史研究 5 35-54, 2024-03-22
障害史研究会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390581378932530432
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- NII書誌ID
- AA12891195
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- DOI
- 10.15017/7172668
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- HANDLE
- 2324/7172668
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- NDL書誌ID
- 033576117
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- ISSN
- 24353078
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDL
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可