京都帝国大学における中国人留学生データの解析 -昭和初期(1927-1937年)の入学者を中心に-

書誌事項

タイトル別名
  • Analysis of Data on Chinese Students at Kyoto Imperial University -The main focus is new students in the early Showa Period (1927-1937)
  • キョウト テイコク ダイガク ニ オケル チュウゴクジン リュウガクセイ データ ノ カイセキ : ショウワ ショキ(1927-1937ネン)ノ ニュウガクシャ オ チュウシン ニ

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抄録

1930年代半ばの中国人第三次日本留学ブームの時期に,数多くの高学歴の若者たちが日本にやってきた。日本の帝国大学は中国高等教育機関出身の入学希望者のため,大学院の門戸を開いた(東京帝大)ほか,専攻生制度(九州,東北,北海道,東京帝大医学部)などで対応した。京都帝大は明治時代から規定されていた「外国学生」制度で,中国で高等教育を受けた留学生などを本科で受け入れた。  「外国学生」制度は,京都帝大に特徴的な留学生制度であり,昭和初期に中国で高等教育を受けた者及び旧制一高~八高以外の日本の高校出身の留学生に門戸を開いたのである。「外国学生」は本科生と同じように,本科の科目を勉強し,卒業試験に合格できれば,卒業と同時に学士号も取得することができた。「外国学生」は,「準本科生」と言えるだろう。  京都帝大は,「外国学生」制度で中国人留学生を幅広く受け入れただけではなく,一高特設高等科の卒業生に対しては無試験で受け入れる措置も取っていた。他には,入学後に学生身分を変更した者もよく見られ,特例の入学ケースもあった。京都帝大の制度上の柔軟性は,留学生への対応からもよく見てとることができるのである。

収録刊行物

  • 人文学研究所報

    人文学研究所報 (71), 169-193, 2024-03-27

    神奈川大学人文学研究所

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