<調査報告>宜野湾市・大山の生物文化多様性-宮城邦治さんの話

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抄録

はじめに  1960年代以前、琉球列島の人々の多くは、身近な自然環境を多様に利用する暮らしを送ってきた。また人々のそうした働きかけは、人里周囲の自然環境にも大きな影響を与え、いわゆる里山的環境を作り出してきた。しかし、1960年代以降、人々の暮らしは大きく変わり、人々が持っていた伝統的な自然利用の知恵は忘れられつつある。また、人里周囲の自然環境も、かつてとは姿を大きく変えることとなった。近年、持続的な自然利用の重要性が認識されるようになるとともに、人々と自然の相互の関係性-生物文化多様性―の重要性も認識されるようになってきている。しかし、琉球列島における生物文化多様性については、まだ知見が十分に蓄積されているとはいいがたい。  著者はこれまで、主に植物利用を中心とした自然利用について聞き書きを行ってきた。しかし、その中で、話者の方々から動物に関する話を聞き取る機会も少なくなく、動物と人との関わりを中心に置いた聞き取りを行う必要性を感じるようになった。今回、沖縄国際大学で生物学の教鞭をとっておられた宮城邦治さん(1949年生まれ)に、出身である宜野湾市・大山における往時の自然利用について伺う機会を得た。宮城さんは哺乳類、鳥類の生態研究も手掛けてこられた方であることから、紹介される生物種についての情報は正確である。また、大山はタイモの生産地として有名であるが、宮城さんの話の中にあるように、かつてはタイモではなく稲作が中心であったという。このように、現在も農耕地の風景が残されていると思われる地域においても、自然利用や自然環境は往時と異なっている場合が多い。かつての大山の生物文化多様性についての宮城さんの話を以下に記録する。なお、聞き取りを行ったのは2023年12月28日である。

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