近世後期の天皇号・漢風諡号再興と古義堂伊藤家
書誌事項
- タイトル別名
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- The Kogido Ito Family and the revival of the ancient style imperial titles during the Late Edo Period
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説明
1840年に死去した上皇兼仁には「光格天皇」の号が贈られた。『書経』堯典の「光四表を被し、上下に格る」に出典をもつ諡号「光格」と「天皇」との組み合わせであり、平安後期から採用例がほとんどない天皇号と漢風諡号の再興である。本論文はこの事件を素材に、近世後期における朝廷運営の変化、そして当時の学問・思想動向が朝廷に与えた影響を検討したものである。<br> 従来、天皇号・漢風諡号の再興は光格天皇による朝儀復古の延長上で考察され、他の朝廷関係者の役割については検討が不十分であった。そして天皇号・漢風諡号の再興を唱えた儒学者中井竹山の「草茅危言」などが再興の背景として指摘されるものの、かかる思想動向と朝廷の意思決定過程との直接的な関係は分かっていない。<br> 一方、仁斎学を継承する古義堂の5代目伊藤東峯は、天皇号・漢風諡号再興について関白鷹司政通の諮問を極秘裏に受けていた。この事実は、従来の研究史でほとんど忘れられていた。本論文は天理大学の古義堂文庫史料を活用し、再興実現の経緯を全面的に再検討した。<br> 政通は仁孝天皇が再興の意志を表向きに示す前から、再興について江戸幕府と内々に交渉して承諾を得ていた。そして光格・仁孝天皇の漢風諡号は、いずれも古義堂伊藤家が政通の依頼で考案したものである。紀伝道の伝統をもつ菅原氏の公家が天皇の表向きの指示を受けて諡号を考案したが、政通が菅原氏の案を内々に検討しており、その過程で伊藤家の案が反映されたと判断できる。若年期から伊藤家に師事した政通が東峯をかなり親しく思ったこと、そして東峯が中井竹山の再興論を重視したことも興味深い。<br> 主に幕末期の行跡で知られてきた鷹司政通が幕末以前の朝廷運営で示した姿勢、そのブレインとして京都町方の学者が果たした役割、そして朝廷をめぐる朝廷外部の言説が朝廷周辺に与えた影響など、近世朝廷像の更新に資する様々な動向が明らかになったといえる。
収録刊行物
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- 史学雑誌
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史学雑誌 132 (8), 38-59, 2023
公益財団法人 史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390582706068482176
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- ISSN
- 24242616
- 00182478
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可