平安時代の渡海制と成尋の“密航”

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タイトル別名
  • Restrictions on foreign travel during the Heian period and Jojin's alleged “clandestine” journey to China
  • 平安時代の渡海制と成尋の"密航" : 成尋"密航"説への疑問
  • ヘイアン ジダイ ノ トカイセイ ト ジョウジン ノ"ミッコウ" : ジョウジン"ミッコウ"セツ エ ノ ギモン
  • 成尋“密航”説への疑問

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抄録

古代日本では渡海制と呼ばれる海外渡航制限がしかれ、出国には天皇の勅許が必要であった。ところが延久四年(一〇七二)に宋に渡った成尋については、彼と密接な関係にあった権門貴顕がその出国を忌避したため、やむなく〝密航〟したとされてきた。しかしこのような見解は十分な論証を経たものではなく、さらに成尋の出国を望まない貴族たちが一方では彼を支援していたとするなど、問題点が多い。<br> 成尋出国の背景となる渡海制であるが、従来、これは天皇のあずかり知らぬ出国を禁止するものとされてきた。しかし、実際の事例をみると、大部分は密出国そのものには成功している。一方、密出国者が帰国した際は、官司先買権に関わる入国検査があり、これをすり抜けることは難しい環境にあった。そのため、渡海制下の出入国の実態は、密航はある程度可能だが、朝廷に把握されずに帰国するのは難しい環境であったと考えられる。<br> 次に成尋の〝密航〟説であるが、渡海制下、彼と類似の行動をとり、問題とならなかった例がない。そのため、彼を〝密航〟とみると、かなり特異な事例となってしまう。さらに、従来、成尋〝密航〟の根拠とされているのは、①『参天台五臺山記』、②『成尋阿闍梨母集』、③『続本朝往生伝』の三つであるが、詳細にみると、③は史実に反する内容があり、信憑性に乏しい。また②は成尋が「宣旨が出れば宋に渡る」と発言したとしており、実際に彼はその後出国している。そのためこれは〝密航〟の根拠とはなり得ず、むしろ逆に、彼に出国許可が出たことを示唆する史料として扱わなければならない。①についても〝密航〟と断定できるような記述ではない。このように、従来の通説である成尋〝密航〟説は実は史料的根拠に乏しい。先に述べた渡海制との関係性や彼に出国許可が出たことを示唆する史料などもふまえるならば、成尋は渡海制下、正規に出国した人物である可能性が高いと結論づけられる。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 126 (8), 30-53, 2017

    公益財団法人 史学会

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