三浦半島における海水面の相対的な水位上昇の要因

書誌事項

タイトル別名
  • Factors of Relative Sea Level Rise in Miura Peninsula
  • Presenting Correct Information on Natural Geography Survey to Resolve Resident's Anxiety and Misunderstanding
  • 住人の不安と誤認を解消するための自然地理学調査から

説明

1. はじめに<br><br>地域には,自然環境に対する何かしらの不安や課題が内在している.三浦半島南部の海岸調査では,海面水位の変動に対する住人の不安が確認された.住人は「海水面の高さがこの数十年間で徐々に上昇し,地形が海に沈んだ」と言う.原因を聞取ると,「地球温暖化による海面上昇」と認識する人が多く,概ね不安な面持ちで環境問題を懸念している.潮位記録に基づくと,住人の観察は事実であり,年平均海面水位は1923年大正関東地震以降約97年間において約40 cm上昇している.本研究は,海面水位の上昇の実態と原因を究明するために,地形発達および地層発達を詳細に調査し,海面水位の相対的変動の過程を明らかにした(Shimazaki et al., 2011; 金・萬年,2018;Mannen et al., 2018).<br><br>2.結果と考察<br><br>三浦半島では,内湾性の溺れ谷が多数発達し,湾奥には陸源堆積物に埋積された堆積海岸低地が形成されている.<br><br>Shimazaki et al.(2011)は,小網代湾の干潟で最深1.8 mまで堆積物を採取した.堆積物は層厚約40 cmの干潟層とその下位の内湾泥底層から構成され,また計3枚の津波起源の砂礫層が認められた.<br><br>珪藻分析を計1地点で行った結果,3枚の津波層の間に堆積する内湾泥底層では,それぞれの層内で海水底生種に対する浮遊種の比率が上方に増加するが,津波層直上では底生種の比率が急激に増加した.また干潟層では,淡水種の比率が急激に増えるが,上方に向って海成種が回復する傾向がある.以上の事実から,津波時に急激な海退,内湾泥底層と干潟層の堆積期に緩やかな海進が起こった.<br><br>粒度分析を計8地点で調べた結果,3枚の津波層の間に堆積する内湾泥底層では,上方細粒化が認められるが,3枚の津波層の直上では急激に粗粒化している.干潟層では,礫が多く,粒度変化は顕著でない.珪藻との比較から,粒度は,内湾に流れ込む流水口からの距離,すなわち水深の変化を表すことを解明した.急激な粗粒化は地震時の突発隆起,また上方細粒化は地震間にゆっくり進む沈降によると判断された.<br><br>年代測定により1923年,1703年および1293年の関東地震の発生時期が推定され,潮位観測で得られる三浦半島特有の連続的な地殻変動シグナルが歴史時代に遡って解明された.<br><br>金・萬年(2018)は,隆起・沈降量および相対的海面水位を導くため,潮間帯の地形・地層を基準に,毘沙門湾に面する海岸低地の発達過程を分析した.<br><br>大正関東地震の直前の旧版地形図(1921年測量)と地震後の空中写真(1946年撮影)を分析し,極めて詳細な微地形の分類図を作成した.その結果,旧海岸線が内陸部に数か所に認められ,海岸線が段階的に海側に後退していることが確認された.また大正関東地震時には,海岸線が最大約50 m後退していた.旧海岸線の間の地形は段丘化し,海成段丘は海抜2.1m未満に5つの領域に分けられた.海成段丘面が明瞭な低崖に画されることから,海面水位の相対的低下が急激に生じたと判断された. <br><br>段丘構成層と現干潟の底質を比較した結果,高潮帯河口干潟および低潮帯から潮下帯のラグーン干潟が,急激に離水した段丘であった.構成層の上面高度から段丘面の海抜を求め,放射性鉛・セシウム・炭素年代測定で離水時期を推定した結果,若い順に1923年大正地震の段丘面:1.22m~1.37m, 西畑・他(1988)による1703年元禄地震の離水波蝕棚面:2.3 m,1293年正応地震(1260-1380cal.AD以降)の段丘面:1.27 m,約1000年平安の未解明地震(915cal.ADから1150cal.AD)の段丘面:1.63~1.93 mであり,さらに古い時代まで段丘面が分布する.<br><br>従来,大正と元禄の過去2回の関東地震の隆起痕が分布すると考えられた海抜2m付近では,それより古い歴史時代の段丘地形が分布することを解明した.また入江の奥に発達する見かけ上,平らで一面の海岸低地は,形成期を異にする段丘群から構成さていることが解明された.このように,極めて海抜の低い海岸低地に段丘が残存する理由は,1.プレートの沈み込みに伴う陸側プレートの弾性反発が繰り返されていること,さらに2.新期の堆積物や稲作土壌層に覆われ,段丘が保存されたことによる.<br><br>生業の場である海岸低地(幅の広い段丘面)は,地震時隆起と地震間沈降の繰り返しによって発達することを提案する.Mannen et al.(2018)は,段丘地形の分類を行っていないが,鎌倉と逗子において,歴史時代の離水面がほぼ同じ高さに残存することを明らかにした.地盤の高さは,隆起沈降のバランスで長期的には安定的であるが,金・萬年(2018)で示した通り,地震の発生間隔が短い場合,段丘地形が残り,地震時隆起量の一部が残留する.

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390845713072006912
  • NII論文ID
    130007628597
  • DOI
    10.14866/ajg.2019s.0_319
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

問題の指摘

ページトップへ