世界像の転換、〈近代小説〉を読むために

書誌事項

タイトル別名
  • The Construction of Subject, Part 3: On a Mixture of the “Geocentric Model” and “Quantum Mechanics” in Literary Studies
  • 世界像の転換、〈近代小説〉を読むために(続々)〈主体〉の構築
  • セカイゾウ ノ テンカン 、 〈 キンダイ ショウセツ 〉 オ ヨム タメニ(ゾクゾク)〈 シュタイ 〉 ノ コウチク
  • ――続々〈主体〉の構築――

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説明

<p>どんな天才が読んでも、文学作品そのものは捉えられない。全てその人の捉えた〈読み手〉のなかの像でしかない。と言って、元の作品、オリジナルがないのではない。オリジナルがなければ、その読んだ人の作品の像も論もないからである。</p><p>〈第三項〉はある。あるが永遠に捉えられない。それは永劫の沈黙、了解不能の《他者》、その〈影〉が現象するところが人々の生きる生の場である。世界はこの〈折り返し〉にある。これを捉えるには「生活上の分類」、すなわち、「極めて動物的でありまた極めて文化的でもある分類」と「世界観上の真偽の分類」の双方、二重を必要とする。その際、認識の対象ではなく、認識の行為によって現象する秘技、知覚空白の言語運動が隠れているところがポイント、言語は伝達の道具という前提を改め、言語はシニフィアンを介してある特定のシニフィエに呼応し、それが「差異の体系」をなしているため、両者の分離が「還元不可能な複数性」をもたらすのである。この秘技、〈仕掛け〉は広く知られた方がよい。</p><p>主体は客体に応じて現れ、客体は主体に応じて現れる。世界の像はそれぞれその相関によって生成され、常に日々刻々に変容している。その主客相関の世界像をメタ認知するだけでは〈世界〉は捉えられない。メタ認知する主体自体の底が抜けているからである。通常の〈読み〉における主体構築の場は上げ底、空中楼閣である。ポスト・ポストモダンを拓く急所は〈第三項〉の受け取り方、比喩としての「古典物理学」から「量子力学」の世界観認識に転換させるところにあると、わたくしは考えている。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 63 (8), 2-14, 2014-08-10

    日本文学協会

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