02社-12-口-23 嘉納柔道修行とその「道」:「精力善用自他共栄」との関係を「体用」の関係としての西田哲学から考察する

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タイトル別名
  • 修行の実践による人格的な完成へと向かう変化のプロセスを嘉納、三宅、西田の言説から比較考察する

抄録

<p> 日本の武道は「技心一如」であるとされ、「技より入りて道に至る」とされる。嘉納治五郎の理想とした最小限の力で相手を倒す自然体による「つくり」と「かけ」の善行としての柔道修行の実践による「意識の厳密なる統一」として現前成就する「実在」としての「精力善用自他共栄」は「道」に相当するが、その形成過程に三宅雪嶺の陽明学をベースとした現象即実在論・宇宙有機体説が応用されている。また、西田哲学においても、日常生活で「良知」を磨く事情磨練を重んじる陽明学との関係が指摘されている。嘉納は「精力善用は自己完成の要訣なり。」(自己の完成とは欲求と道徳が一致する聖人に至ること。)と述べているが、同様に西田幾多郎は「善とは、一言えば人格の完成である。」としている。今回は嘉納柔道思想と西田哲学の本質を修行の実践による「道」の体現としての人格の完成であるとしてとらえ、その身心相関関係を「体用」の関係として、そのプロセスを嘉納、三宅、西田の言説から比較考察していきたい。</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390846609785293952
  • NII論文ID
    130007769977
  • DOI
    10.20693/jspehss.70.113_2
  • ISSN
    24241946
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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