信越新道「修開」事業の実情

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タイトル別名
  • The Actual Situation of the Construction Business to Open the Road, Shinetsu-shindo
  • シンエツシンドウ 「 シュウカイ 」 ジギョウ ノ ジツジョウ

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抄録

明治の初め、石川県士族と信州大町の資産家達が協力して、越中と大町の間に山脈を横断する有料道路を築こうとする動きがあった。この道路は、開通して間もない明治13(1880)年11月には廃道となり以後復活されることはなかった。新道が開通間もなく廃道となった理由は、山岳の自然条件について安易な認識を持ったまま事業に着手したこと、その為もあり早々に資金難に逢着したこと、通行人や通過荷物が予想をはるかに超えて少なかったことなどが挙げられる。本稿は「道程表」「入費勘定帳」などの史料から、工事の計画と実施に焦点を当て、開鑿工事の実像に逼ろうとするものである。なお、資料は本文の末に一括して掲載する。

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